たばこの紫煙を忌みきらい、分煙という戒厳令が布かれている。
その人は喫煙者だと判明されると、秘密警察に強制連行され、世俗から隔離されたゲットーへうながされる。そこで喫煙者はちいさな幸せを得てくらしている。
それが分煙である。
どうして分煙が必要なのか。
それは副流煙というニコチンタールの澱が発生し、猛毒となって周囲を蝕み、さいあくのばあい、人を殺めるからである。
しかしもっと単純に考えてみたい。それはやはり「くさいから」という理由がメインストリームではないだろうか。
臭いものには蓋をする、なんて言いますから、たばこに蓋をする意味で喫煙者を軟禁するのは当然なのかもしれませんね。
会社に私の席がある。 天井に埋め込んである空調機から人工の風が吹き付ける場所である。
その空調機の真下には、いつもエナジードリンクを鯨飲する方が座している。
彼は常習化したエナジードリンクのプルタブを起こし、小気味のよい音をたてて開栓した。
甘く酸っぱいような香気がながれてきた。生命力が飽和したような薫りだった。涼しげな風にからまって私の鼻腔を刺激した。
エナジードリンクのにおいというのは、どうしてこうも人を狂わしめるのか。誘惑するのか。
「おまえも飲もうぜ。なぁにみんなやってんだよ」と私の右肩にアルギニン。
「こいつでラクになっちまえよ。最高の気分になれるぜ」と左肩にはカルニチン。
彼らが囁くことばに私の意識はとろとろになった。あぁなんと心地良い香りなのだろう。その芳しい蛍光色の液体を想像するだけで活力が湧いて来る。エナジードリンクがほしい。私は渇いた。
しかしそれはしてはならない。なぜならエナジードリンクは中毒性が高いからだ。たしかに経口摂取することで身体にエナジーがみなぎり感覚が研ぎ澄まされ、万能感を得られる。
しかしその反面、ひとたび体内のエナジードリンクが枯渇すると、疲労による昏倒、倦怠感の蔓延、気分の落ち込み、無気力、いわゆる鬱状態が発動するのである。
それだけならまだ症状は軽い。精神の弱いものであれば、指先からぼろぼろと崩れていく感覚、体中に虫が這う感覚、緑の小人の大名行列などの幻聴幻覚が急襲してくる。
そして人はそれを恐れ、エナジードリンクが酸素のように必要になり、欠けぬように常飲し、ときには相場の金銭感覚もわからなくなり、エナジードリンクに埋没沈澱していくのである。
ゆえに、これは瘴気である。
私は鼻にへばりついたその毒気を肺臓に取り込まぬように必死で鼻息を吐き続けた。
そして手身近にあった手帳、スマホ、サイフ、ナイフ、ランプ、食パン、目玉焼き、りんご、飴玉ふたつ、僕とシータを結ぶ紐を鞄に詰め込み、椅子に備え付けてあった防災頭巾をかむって社外に出た。風上に逃げた。小高い丘があった。
この丘陵から逃げ惑う人々の姿が望めた。必死で手をとりあい逃惑う社員たちが犇いていた。その後方、立ち込めた瘴気は深い霧のようにビルを包み、光の侵入をさえぎっている。霞の先に人型の陰影だけがうごめいていた。
ビルの中にまだ人がいる。逃げ切れなかったのだ。彼らはエナジードリンクの毒気に犯されているにちがいない。私は伸吟する彼らのことを思い、やるかたない自分への憤懣と、逃げ切れたこの身の安息を思った。その安寧はさらに私の憤懣を加速させた。
その霧はすこしして収束した。
わらわらと逃げた遅れた人々がでてくる。しかし、彼らはもう豹変していた。言葉にならない呻き声をあげ、からだを引きずるようにして、なかには地べたを這いつくばりながらも、何かを目指しているようだった。
コンビニだった。私の知らないそれらの生き物は一目散にコンビニへと押し寄せた。そしてレッドブル、モンスター、ライジン、メガシャキ、ライフガードなどを奪い合った。これはエナドリ中毒者の典型的な行動である。
そして各自電子マネーなどで会計を済ますと、矢庭にプルタブを起こし、腰に手を当て、貪るようにエナドリを流し込んでいった。
するとそのエナドリの瘴気はたちまちにして周囲を包み、そうしてまたエナドリ感染者は増えていくのであった。
とにかく私は思う。エナジードリンクの匂いってけっこうきついから、エナジードリンクを飲むなら周囲に気をつけるべきではないだろうか。
もしくは喫煙所ならぬ、活力補給所なるエナドリ専用の小部屋を作るべきでは?
なんて思いながら、私は口角を上げて、レッドブルを口に含んだ。