ディストーションの「歪み」を歪みと読んでいる方がいた。
ちなみにディストーションとはエレキギターの音色のことである。
ギャーンってな轟音のこと。
ちなみに音色も音色ではなく音色と読む。
たしかに初心者にはわかりづらいと思う。人は間違えて学問していくものである。だから初心者は仕方ない。それはわかっている。
でも彼は講釈をたれるように偉大尊大なスタンスで歪みと発言していた。「あ、俺は音楽玄人だから」と威風堂々としていた。
ごめんやけど、滑稽だった。
一般的には「よじれ」を表現する歪みと読むことが多いのかもしれない。世界の歪み、なんてな具合に。
しかしロックなどを聴いていて唐突に「ここの歪みがさぁ」とか言われると、えっ!どこの空間が湾曲しているの?ディバイディングドライバー?ってなかんじになる。
もちろん歪んだ音は空間を歪ませる特色があるとおもう。
ゆえにディストーションをあえて歪みと読むことで、そのロック音楽がこの世界のよどんだ掃き溜め感を醸し出し、まさにそれはアウトローでロックだぜ!ってのをアピールしたいのかもしれない。
でもやはりそれはややこしい。
「えっ?貴殿ほど音楽に精通しているのであればきっとあえて歪みと言ったのだろうけれど、一応確認させてほしいな。それってギターの歪みのことだよね?」と会話の一手間が増え、さらにはやるかたない疑心に苛まれる。
だから基本的に音楽、ことロックなどに関して「歪み」は歪みではなく、歪みと読むべきだとおもうな俺は。
知っているか知らないか、だけの話なのでうんぬんかんぬん言うべきではないかもしれない。
それにつけこんで「歪みじゃなくて歪みって言うんだよ」なんていうのは顔面の皮が厚い行為だとおもう。
でもしかし、もしなにか音楽を語るのであれば知っているべき情報である。
だから歪みを歪みと読んでしまうと説得力に欠けるのである。この人ずいぶん高尚な立場から物言ってるけどダイジョブかしら?とおもうな俺は。個人的にね。
だからロックが好き、エレキギターが好き、エレキギターの音が好き、さらに偉ぶった感じを出したいのなら歪みを歪みとは読むべきではない。
昨今はDTMなどで自宅録音をする方もいらっしゃる。
そうするとエレキギターなどしていなくても音に関しては多少知識をもったかたがたが増えるわけです。
そこで歪みを歪みと読んでしまうと矢庭に「ばかめ!それは歪みと訓読みするのだ!」と慨嘆する人がいるのです。私のように。歪みも訓読みですが。
だいたいにおいてエレキギターをやる人間なんてのは性格が歪んでいるんですよ。
でもその性格が歪めば歪むほど音は歪む。そんな気がしています。
もちろん音を歪ませるのは真空管やゲルマニウムダイオード等々を含有したメカの構造のおかげなのですが。
しかしこうして歪みと歪みを羅列するとじっさいなにがなんだかわからないですね。
みんなちゃんと読めたかな?