埼玉県。上尾市。さいたま水上公園。
この休日、子どもプールのみが開放され、しかも無料とのことであった。
吝嗇である我々は「ただより高いものはない」ということで赴いた。
これがすべての間違いだった。
我々は無料の看板に釣られ、行水という行為に祟られたのだった。
土曜。
天気予報の太陽マークが禍々しいほどの赤とうねうねを放っていた。
気温摂氏35度越え。
無闇に外出すると「死ぬ」という警告だった。
だがしかし、絶対に負けるから戦わない、なんて選択肢は男としてどうかと思う。
時代は「無理をしない。がんばらない」のが主流らしいが、そんなの男じゃねぇ。
男ってのは闘志忍耐節度礼儀団結を信条として生きるもんだ。
だから俺は外にでる。たとえそこが死へのバイパスだったとしても、この意志は貫くべきだ。人は意志をもって生きているんだ。ということでプールに行った。
本来さいたま水上公園は9:00から開園とのことである。
それを鵜呑みにした我々は、当日のこどもプール開放が10:00という情報を見落としていた。己の懈怠を恥じ入り、暖簾が出るまで待機した。
ギャルみたいなママがわらわらと集まってきた。
プールは超楽しかった。
2歳の息子は水着のみの徒手空拳での浸水であった。
だがとても夏をエンジョイしていた。
水中を歩行することで身体に加わる水の負荷を楽しんでいた。
また大小の滑り台もあり、それもまた夏の日の暑さを楽しめる一興となったようだった。
すべてがきらきらしていた。
水面に陽光が反射して、淡い水底の青が透き通っていた。
みんなが笑顔だった。たのしそうだった。
描いていた太陽への敵意はプールにはなかった。
きらきらで透明で輝いている幸甚が、すべての人にあった。
私はこんな楽しいことが無料であって良いはずがない。と思った。
きっとなにかの陰謀だと思った。その懸念は正しかった。
午。帰路。息子は自動車でぐっすり眠っていた。
プールに生気を搾り取られてしまったのだ。
かくいう私もへろへろだった。
水中でもてあそんでいたあの抵抗は楽しかった。
しかし地上に出た瞬間、重力が何倍にも膨れ上がって強襲した。
身体が重く、這い蹲って自動車に乗り込んだ。
昔なにかのアニメかなんかで見たことがある。
人をエンタメで楽しくさせ、その生気を奪い、自らの糧にするバケモノがいる、というような話だった。生気を奪われた人間はその後虚脱、無気力になり廃人と化し、涎や排泄物を垂れ流しながら日がなぼおっと過ごす。とのことだった。
このことだ。と私は合点がいった。
そういったバケモノが人々の生気を吸い上げるために無料でプールを開放したのだ。
すべてに納得がいったことにはもう手遅れだった。
明くる日。日曜もまたプールに行ってしまったのである。
しかもショッピングセンターで浮き輪や、妻用のラッシュガードなどを勘定し、準備万端で赴いたのだった。
土曜も日曜もこうして日々が過ぎた。
プールから帰宅すると泥のようにねむった。
起きてもまだ身体が重く、現実がのしかかってきた。
つらかった。ベッドの上で反転するのもやっとであった。
でも心には「またプールに行きたい」という思念が湧き上がってくるのである。
来週から本格的に始動する様子である。
さいたま水上公園には人をエンタメで拘泥させる魔物が潜んでいる。
そしてプールで人の生気を奪う。
でもそれがわかっていても、また行きたいと思ってしまう。
こうしてプールジャンキーになってしまった私が人生の警告として諫言する。
さいたま水上公園はやばいので行かないほうが良い。