人は獣
牙も毒も棘もなく
ただ痛むための涙だけをもって生まれた
裸すぎる獣たちだ
と中島みゆきという一柱の神は歌う。
だから人は武器を手にするのだと思う。
現代社会。
就職面接の際、「あなたの武器はなんですか?」なんて詰問される。
だから己の武器、それは現代社会を生き抜く武器、畢竟スキル、それを装飾し言語にして放つ。
そんな具合にきっとファンタジーの世界でもギルドの面接で
「あなたの武器はなんですか?」と尋問されると思う。
剣、槍、弓、斧、槌、銃、拳法、C言語。
さまざまな選択肢があると思う。
そして武器を手に、戦士は胸にひとつの石を抱く。
消えゆく記憶をその剣に刻み、鍛えた技をその石に託す。
しかし、ギルド採用試験のさい、
「私の武器はヌンチャクです」
というようなやつがいたら、おそらく私は不採用のスタンプを押すと思う。
なんでヌンチャクなん?と思う。
ヌンチャクが悪いとは言わない。
けれども私は、ギルド全体をおもんぱかると、どうしてもヌンチャク使い、通称ヌンチャカーが全体に良い影響を及ぼすとは考え難いのである。
武器にはおのおの特性というものがある。
槍のような点にも線にもなる武器。
弓のようなリーチの長い点の武器。
戦わずして勝利をもたらしてしまう権力、象徴力のある剣という武器。
そして、かいしんのいちげきの出やすい拳法。
ヌンチャクの攻撃は基本的に遠心力を利用する。
ゆえに力の弱いものであっても最小の力で最大の攻撃力を発揮する。
つまりこれは回転の力であり、自らを中心点としてその円で攻撃するわけである。
だから、ってゆうかしかし、一度まわってしまったヌンチャクを制御することは、ほぼ使用者でも不可能であり、下手にその回転をコントロールしようとすると自らをも傷つけてしまう可能性があるのである。
そんな武器で戦う仲間がいたらどうしますか?
とっても剣呑。
やばいやつじゃん!近づかんとこ!ってなる。
ギルドとはチーム戦である。
それはお互いのフォローで勝利を勝ち取るのである。
そんななか、ヌンチャクを振り回し、攻撃と防御一体だぜ、なんて傲岸不遜なヌンチャカーがいたら、そいつはもう一人で戦っているわけだし、チームでいる意味がないわけだからヌンチャクは、やっぱないわ。
おそらく、これは推測の域をでないのだけれども。
だから、差別だ!なんて具合にブログが荒れても仕方ないんだけど。
ヌンチャク使いは普段、何気ない状況でもヌンチャクを振り回していると思う。
たぶんそれは練習なんだと思う。
なかなかコントロールできないヌンチャクを、道具を身体の一部にするために四六時中ヌンチャクを振り回し、飯を食うときも、寝るときも、肌身離さずヌンチャクとともにいる。
そんでそんな練習というのが、肘を曲げ後方にヌンチャクを振り上げ、遠心力で脇腹の下からでてくるヌンチャクを逆の手でキャッチする、なんていう戦闘ではまったく役に立たない「一芸」の練習ばかりする。
「ふん、ふん、ふん、あちょ、痛ッ。」なんて声も聞こえる。けっこう失敗する。
「さいきん戦闘ないのに、なんであいつ体中傷だらけなんだよ…。」とメンバーから嘲笑と侮蔑の嘆息が、なんだか夢想しているだけなのにリアルに響く。
おそらく、ヌンチャクを選んだ理由はブルースリーだと思う。
たぶん彼はギルドの面接の直近に「死亡遊戯」かなんかをツタヤで借りて見ているんだと思う。それか若しくはアマゾンプライムビデオ。ブルースリーがあるか知らないけど。
そんな遊び心みたいな理由で、生死をかける武器、それは命をかける最大のパートナーなんだから、それを選ばれても困惑する。
攻撃のとき気合というのは大事だ。だって剣道では加点になる。
だから武器をふりあげたとき、絶叫するのはありだと思う。
しかしヌンチャカーは、まぁこれも推測だけど、ちょっとブルースリーの「感じ」を入れてくると思う。
それは攻撃後の余韻にも如実に現れてくる。
見えを切って、鼻頭なんかを親指で拭ったりして。
だから私はギルド採用試験のさい、その応募要項に「ヌンチャクは禁止」という文言をタウンワークの資格事項かなんかにしっかり記載しようと思う。
でもそうすると全国のヌンチャク好事家たちから「差別だ」なんて批判のご意見をいただくとおもうので、「振りモノ禁止」くらいのニュアンスにしたいとおもう。
ファンタジーの世界もたいへんだ。