どんなときでも人間は正直でないといけません。
そう思います。まじで。
ひとたび嘘をつけば、その嘘のためにまた嘘を付くという、嘘で塗り固めた地獄の人生を送らねばならなくなるのです。人間の一生は地獄です。ほんま。
かくいう私は、ピュアにナチュラルに正直に生きているか、と問われれば、その目をまっすぐ見据え、曇りなき眼で「私は嘘は付きません」などとは言えないんです。
今日、うそを付きました。
「おなかと背中がくっつくぞ」というものです。
私は、慙愧に耐えません。
2歳9ヶ月の息子がイヤイヤ期というキャンペーンを開催しています。
これは、かような時期のキッズに見られる傾向であり、心配には及ばないようです。
しかし、こと食事などにおいて「イヤイヤ」となった場合、それは生命活動にも危険が及ぶため、親の責務としては、どうしても経口による栄養の摂取を幇助しなければならない、と考えてしまうのです。
だから私は、
「ご飯を食べないと、おなかとせなかがくっついちゃうぞ」
といいました。
脅迫的な諫言です。
頭を冷やした今、冷静に考えてみれば「おなかと背中がくっつく」ほうが生命活動として剣呑だと思います。
しかし、私は思います。
おなかと背中がくっつく、とはどのような状態なのでしょうか。
「おなか」というと、象徴的にその臓腑を含めた身体髪膚その表面腹部のことを示すと思います。そして「背中」というと、これもまた象徴的にはその背骨脊髄を含めた身体の背面を示すのだと思います。
上記を定義として、この臓腑を含め「おなか」というのであれば、それらは背骨や脊椎にふれているのだから、すでに「背中」にくっついていると言えるのではないだろうかと思うのです。
そう考えれば私の発言は正となり、この魂魄は罪障に穢れることなく、きっと極楽浄土へ旅立てる、そんな気がするのです。
しかし、私は正直にいいます。
以下のような意味で「おなかと背中がくっつく」といいました。
つまり、空腹により内臓は萎縮し、身体の表皮、そのおなかの前部の肌と背中の背部の肌がくっついてしまうぞ、と息子を瞞着したのです。
しかし、これもまたよくよく考えてみればありえない虚言なのです。
たとえ飢餓により胃袋が縮小したとしても、けっしてその臓腑が体内から逐電してしまうわけではないのです。よって縮小した臓腑がその身体に内在している限り、おなかと背中の間には萎縮した臓腑が介在するので、けっしておなかとせなかというのは、これは運命的にくっつくことはないのです。
そんなことを2歳の息子は思ったようです。
だから「やーだーよー」と言ってごはんをあまり食べませんでした。小癪でした。
そして私は、無駄にこの魂魄を嘘で汚しました。
こんな嘘をつくのは、親以前に人間として、失格だと思います。
そんな人間に「教育」などがつとまるのでしょうか。
うそつきの私は、そんな恐れ多いこと、とてもできない、と思いました。