まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ステゴサウルス

今週のお題「ちょっとコワい話」

個人的に畏怖しているものに「断ち切れぬ連鎖」というものがある。

たとえば、巷でなにかと話題の「貧困の連鎖」というものである。貧乏びとは未来永劫、末代まで貧乏びととして、その血統を生きねばならない、というものがそれである。

 

先日。息子と図書館に行った。ついでに妻もついてきた。貧困の連鎖のため、一冊の本さえ与えてやれない。口惜しい。

 

頃日。息子は恐竜に執心している。タカラトミー株式会社が注力している「アニア」という玩具を発見したからである。だから恐竜の活躍する絵本をレンタルしに推参したのである。

 

そして「きょうりゅう きょうりゅう」という絵本を借りた。

きょうりゅうきょうりゅう

きょうりゅうきょうりゅう

 

 

そして読んだ。私は驚愕した。貧困の連鎖のごとき「負の連鎖」がジュラ記にも存在したのである。それは「すてごさうるす」というネーミングを与えられた恐竜から喚起させられた。

 

「すてごさうるす」はその名の通り、捨て子であった。

 

タマゴから孵ったばかりのサウルスは、どことも知れぬ世界で同時多発的に孵った兄弟たちと産声をあげる。それは生命の喜びの讃美歌というよりも、孤独を悲観する悲しみの鎮魂歌であった。

 

兄弟はみんなで協力プレイし、この弱肉強食を生きる。そんな人情に溢れる世界ではない。身体の大きな兄弟は、身体のちいさな兄弟を捕食する。食ってしまう。生きるためである。時には盗み、時には奪い、そして殺した。生きるために。

 

そんな血で血を洗う殺戮の果てにサヴァイヴしたステゴサウルスは成長する。兄弟ですら信じられない彼らの目は、まるで爬虫類のような、細く長い青白い月を携えた、つめたい目になっていた。

 

成長すると盛りがつく。春である。オスはメスを追い、メスはオスを待つ。しかしここで捨て子だった弊害が生じる。愛することがわからないのである。生きるために必死だった。ただ猛然と過ごしてきた。そこに愛はなかった。必要なかった。だけど、生殖には愛が必要である。そんな出会った男女は、ひとたびの情事を迎えると、再び別れた道を歩むのである。

 

メスのステゴサウルスは身ごもる。新しい命の息吹を感じ、タマゴを産む。あたためる。ひまのなのでスマホでフェイスブックなどに目を注ぐ。すると、同年代のステゴサウルスたちはまだまだ遊び盛り。フェスにいったり、パンケーキを食べに行ったり、みやぞんと写真を撮ってインスタにアップロードしたりしている。悔しい。私がこんなに懸命にタマゴをあたためているっているのに、なんて奴らだ!ステゴサウルス業腹である。

 

そして、思ってはいけないことを思ってしまう。

「このタマゴ、ほっといてもいいんじゃないだろうか…?」

 

私だって捨てられた身代だ。きっとタマゴは私があたためなくても孵る。あのとき食べられてしまった兄弟もいるけど、それはこの時代だからしょうがないっか。いいや。やーめた。私もフォトジェニックな場所でラーメン食べてスノーで脚色した写真をみんなでシェアーしよっ!さいきんは晩婚化だしね!まだまだ遊ばないと!

 

こうして、捨て子サウルスは、また捨て子サウルスを産んでしまう。いや、生み出してしまう。ステゴサウルスはその生命の連鎖を「捨て子」で繰り返す。

 

憎しみの連鎖。悲しみの連鎖。負の連鎖である。そんな負の連鎖がこの世界には生命の根幹、二重螺旋の最果てに記録されている。私はそんな自分の血がときおり、怖くなる。

アニア AL-03 ステゴサウルス

アニア AL-03 ステゴサウルス