まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

夏休み夏休みうるさいんじゃ!ぼけなす!!

死ぬほど喉が渇いているとき、ってたぶん死ぬんだろうけど、死にそうなほど喉が渇いているとき。一滴の水分でさえ渇仰しているとき。そんな時に「水サイコー!生命の起源!ウェーイ!!」とか「うぷっ…水飲みすぎてつらい…お腹ちゃぷちゃぷ…もういらない」なんて言っている人間が目の前にいたら、超ムカつく。

 

そんな感じにむかつくことがあって原辰則。腹スタンダップ。もういやや~、ちゅってみんな夏休みらしい。俺にはない。死にたい。

 

こういうとき「そういう仕事に就いたんだから仕方ないでしょ」とか言う奴がいるけど、俺もこんな運命が待ち受けているなんて知らなかったんだよ。会社の規則的にはあるんだよ。夏休み。じゃあなんでそれが出来ないのか、っていうとおそらく俺の要領が著しく悪である、ということで、蓋し正論を言えば、自業自得という奴なのである。

 

通勤には往路と復路がある。その両路にて主に電車を使用しているのだが、その車両内に、まず風貌からして夏休みの人、というのが横溢している。

 

その中には小学生の身代と思わしき御仁もいらっしゃる。もちろん単身でなく保護者と一緒のパターンが多い。そういうのをみるとより一層死にたくなる。というのはやはり、俺はこのままこうして仕事をしていると、俺の息子にこういう夏休みの思い出を形成してやれないのかなぁなんて思うのである。

 

昨日。帰路の電車内で、野球を観戦してきたんだろうな、という様相の母とその兄弟を発見した。読売巨人軍のコスプレをしていたのだ。大宮あたりでその人たちは座席に着することができたのだけれど、弟のほうは座った矢庭に入眠してしまった。

 

同じ駅で降車したのだけど、とろとろの幻覚状態の弟は蹌踉とするばかりで歩行もままならない。すべりおちた野球帽のしたはやわらかな毛質の坊主あたま。仕方なく母は弟を抱擁することになったのだけれど、弟といえおそらく小学低学年であり、その体躯は母の半分よりも大きかった。

 

それでもその弟を抱きかかえる母はやっぱり強いな、と思った。おかあさんとおにいちゃんと大好きな野球観戦。たのしかったんだろうな、とおもうと家族の絆や思い出と、己のふがいなさに眼球がうるんでしまった。こどもができてから家族系に涙腺がゆるくなった。

 

でも、俺はこの日記でそんな「うるっときた話」みたいな「ごきげんよう」でサイコロの目にあるような話をしたいのではない。うるばなー。

 

俺が主張したいのは「夏休み人は服装に気をつけろ」というものである。

 

日々、休日というものがあり、それがないと人は死ぬ。しかし、休日を休日として謳歌できるのは、その休日に労働をしてくれている徒がいるからである、ということを忘却してはいけない。

 

しかし人は休日に浮かれる。休日という熱に浮かされる。ややもすると人間は利己的になりがちなので、浮かれた人類は休日に働いている労働の徒を忘れがちになり、全身をリラックスオーラで纏い、頭にはミッキーの耳を模したカチューシャや、蛍光色に縁取られたサングラス、お土産のパンパンにつまった袋などを持って、いかにも陽気なムードを出すのである。

 

しかし公共の乗り物にはその日も懸命に労働した英雄がいることを忘れないでほしい。リメンバー労働者。そんなヒーローのおかげでみんなの休日はなりたっている。

 

なのにどうして。俺はくやしい。だって、みんなかくなる労働者に一縷の労いも皆目みせず、ただうかうかとその日に享楽しているだけなのである。

 

だから、せめて、俺は思う。せめて、その浮かれた服装をなんとかすれば、その労働者たちは「けっ…なんだよ、俺が働いてるのにお前ら遊んでんのかよ」なんている卑屈な気持ちを起こさずにすむのである。

 

だから夏休みのみなさんは正装、つまり男子はモーニング、女子はローブモンタント。そんな感じでプールや海、山岳や渓流下り、祭りに出店、ひまわり畑、ディズニーランド、ユニバーサルスタジオジャパンやレゴランドに行きましょう。それが労働者へのエチケットだと思います。

まっぷる 関東・首都圏発 家族でおでかけ 夏休み号 (まっぷるマガジン)

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