まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

せめて人並みの幸せを

悲しいことがあった。てか、こんな人生で悔しい。自分だけならまだそれでいい。だけど私は所帯をもっている。世帯主だ。こんな私と生活をともにすると、家族も不幸に見舞われる。俺は生まれてきてはいけなかったのかもしれない。そんなことを思ったのは先日。マクドナルドでイートインをしたときのこと。着いたテーブルがガタガタだったのである。

 

そのテーブルは天板の裏に打ち付けられたひとつの柱が伸びていて、床についている部分は十字になっていた。その十字が天板と柱の重さを分散させ、均衡をとる、という力学が利用されていた。

 

本然、それはうまくバランスをとって、天板は床面と水平になるはずである。しかし、世界が歪んでいるのか、それとも俺の心の歪みの因果応報なのか、テーブルの天板はあっこっちにガタガタと動息をうながすのであった。ちなみにカウンターで依頼した食事はハッピーセットというものが含まれていたが、ぜんぜんハッピーじゃなかった。

 

我が家ではミニオンズというアメリカ発祥の妖魔が空前のブームである。この夏、彼らの新作映画が公開されるようで、マクドナルドのハッピーセットはミニオンズの姿かたちを模した玩具が付随されていたのである。ゆえにハッピーセットを食いにマクドナルドにつま先を向けた。

 

テーブルのガタガタは、トレイの上のポテトを取るたびにそうなった。こういうとき人は悲しくなる。だって周囲を見渡しても、同じようにガタガタしている人はいないんだもの。ちなみにマクドナルドは基本的にフリーアドレスを実施しており、どこでも好きなテーブルに着くことができる。つまり、今回、私のテーブルにおける厳選が甘かったということであり、この不幸の責任の所在は私にある。

 

家族連れが多かった。みなハッピーセットをハッピーに食べていた。自分を鑑みると、テーブルのガタガタで毫もハッピーじゃなかった。どうして俺ばかりこんなんなんだ!と思った。

 

妻も「なんかガタガタするね!」と言って足元の十字の部分を踏みつけて、うまくテーブルのバランスを取っていた。他の家族よりも妻にかける負担が大きい、と私は自分の人生が恥ずかしくなった。

 

だけど息子はちがった。息子は2歳10ヶ月のイヤイヤ期だけど、我が家に光をもたらす太陽だった。ミニオンズの玩具をもてあそびながらも、テーブルのガタガタをゲラゲラ笑っていた。彼はさいきんよく笑う。顔を上げ破顔しながら「なーんでガタガタぁ」と言っていた。救いだった。

 

こんな自分の天命を思った。私はこういったガタガタのテーブルに当たることがよくある。はずれを引きやすい人生である。だけど、それは単純に自己都合により「はずれ」と物事をラベリングしているだけである。この境遇をエンジョイしようと思えばできるのである。息子のように。

 

また人とは成長する生き物である。しかし、成長は僥倖ばかりを得ていたら不可能なものであると私は思う。ときおり身代に降りかかる不遇という火の粉を、いかにして払うのか、それを美しいと思えるのかが、そういったことが人の成長を促進するんじゃないかな、なんて思った。

 

世の中には自らの不幸を恬然と語るひとがいる。しかし、それはきっと視点を変えれば笑いとばせるものであったり、自己の跳躍として利用できるものも多いとおもう。さまざまな自己の乖離に悩んで、なんとかしようと奮闘している人たちもブログなどで見受ける。そういう人は強い。強いし、かっこいい。

 

私は息子にそういう「生きる力」をつけてほしいな、と思う。せめて人並みの幸せを自分の力で、考え方で、捉え方で、つかんでほしいな、と思う。そんな帰結をした。だから、マクドナルドのテーブルがガタガタでよかった、と私は思った。