文章に「草」をはやすという行為がある。アンダーグラウンドな掲示板ではじまり、いつのまにか巷を殷賑とさせていた。情景を呼び起こすような、記憶の最果てにある香気をにおい立たせるような高尚でしかし晦渋な文章よりも、視覚的にそしてなによりポップに、赤心を吐露できるすばらしい表現だと思う。
コーカソイドの楽隊、クリブスが新譜を出すらしい。皇記2677年。って書くとややこしいですね。西暦2017年9月6日。仏滅。しかしアップルミュージックを駆使している私はすでに聴いてしまった。こういうとこまじ良い。
上記、草をはやすという行為で、このクリブスの「24-7 Rock Star S**t」の感想を申し上げるならば、「クリブスwwwちょwww新しいアルバムwwwうるさくなってるwww最高なんだがwww」といった感じになる。
いつだって文化に革命を起こすのは、こういった表現だと思う。草を生やすというような誰でも使えるシンプルな行為、簡素な武器を思いつく「感性」なんだと思う。
それは音楽、ってゆうかロックの歴史もおなじだと私は思う。ロックの歴史を塗り替えてきたのは「技術」ではなく「感性」だ。それはいつだってガレージで発祥したし、インディーなものだった。それはある時代からオルタナティブと呼ばれるようになった。
そんなオルタナティブな感性がThe Cribsの新譜「24-7 Rock Star S**t」にはあった。
世界中に猖獗するノイズを収束したようなクソみたいなギターが垂れ流されてる。1曲目「 Give Good Time」から。ギターって弾くんじゃなくて垂れ流す。それが「オルタナ」って音楽だと私も思う。メロディはぐだぐだの適当で「コードにのせてます!」みたいな旋律だし、端的に私はこの一曲目で、上記の草をはやす感想を抱いた。
2曲目の「Year Of Hate」もうるさくてとても良い。わけわからんけど。変拍子が入っていて唐突に4分の6拍子とか入ってくる。でもこの曲の一番の混沌は、サビと思わしきところで一小節目はギターが頭の拍をずらしてしかも3-3-2のフレーズを弾いて、途次二小節目はベースが頭の拍をずらしているところなんじゃないかな。リズム音痴なのでよくわかりませんが。
クリブスが初期から好きな人ってのは、キャッチーでポップなメロディを汚いギターでコーティングした粗雑な荒々しさを好きになったんだとおもう。3曲目「 In Your Palace」でようやくそのクリブスぽさがあるかな、なんて思う。泥濘の中に宝物がうまっているかの珠玉のメロディというか、天才的ではないけれど、人の心を仰ぐメロディをつくると思う。ファーストとセカンドは名盤ですね。
オルタナティブロックに型があるとしたら、否定意見はあるとおもうけれど、それはニルヴァーナなんじゃないかな、と思う。めんどいのでニルバーナと表記しますが。4曲目の「Dendrophobia」はもろにオルタナティブロックのリフレインが炸裂している。なによりも7曲目の「Rainbow Ridge」にはニルバーナっぽさを究極に感じる。
オルタナティブロックという音楽の一貫性がニルバーナであるなら、この「Rainbow Ridge」はオルタナティブロックなのでしょう。サウンドからメロディまでニルバーナ。ギターソロのコーラスというエフェクターを効かせた、しょぼくれたギターもまるでニルバーナ。オルタナティブロックの涅槃。ついでに8曲目の「Partisan」もそこそこのニルバーナ。
アマチュアバンドのライブでエフェクターの踏む瞬間を間違えたような、どこで切ろうか右顧左眄して、けっきょく音がスイッチできなかったような、でも恬然と曲を続けるような錯覚。それを5曲目「What Have You Done For Me?」で覚えることができる。歪みの切り方が、もうなんとも言えない。轟音のギターとダウナーなメロディはダイナソージュニアの如し。好きです有無を言わさず。
6曲目の「Sticks Not Twigs」アルバムの緩急のために入れられたのか。そんな曲。なんかっぽいんだけど、かくなる曲はたくさん存在するのでこれもある意味、もうなんとも言えない。
クリブスの前作はなかなかポップだったと思う。「おれらやっぱ才能あるんだぜ」みたいなことを言いたかったのかもしれない。まぁしかしあまり聴いていない。そんな曲が9曲目の「Dead At The Wheel」。ギターも歪み以外のエフェクティブな鳴り方しているし、ぜんたい落ち着いた風味をもっている。
10曲目の「Broken Arrow」。これもなんかっぽいんだけどそんな曲は世界中に横溢している。ベースがはねたりすると、彼らの楽曲に通底している、ある種のポップネスという眩耀を感じる。それは誰しもがもっている大衆への帰属みたいなものなんじゃないかなと思う。クリブスがやりたかったのは、そういう単純な、原点的なそんなことだったのかもしれないな、なんて、思う。
いまロックは、息も絶え絶えに瀕死状態だ。ゆいいつの武器であった蟷螂の斧、そういったルサンチマンは昇天旭日のヒップホップにもって行かれてしまった。
ラップって誰でももっていることば、だれにでもつかえることばを最大限に引き上げて、時代を打擲する力だと思う。もちろんそれには時代を捉える「感性」がもっとも物を言うんだと思う。さらに音楽業界においてリズム、メロディ、ハーモニーが錯綜し、迷走し、意義を失った今、シンプルなことばの力と言うのはとても有用だ。
しかしこのクリブスの24-7ロックスターシットには、忘れられたロック本然の「誰もがもっているただの心情を音楽にトランスフォームするエナジー」に満ちている。
ギターはうまく弾かなくても良い。音楽の素養などなくていい。それがロックなんだから。と言ってくれているようなアルバムだった。素人然としていて粗雑で荒唐無稽で、でも簡素でシンプルで衝動に満ちていて。こういった簡単な表現が世界を変えるんだろうな、と思った。
衝動を表現する文化がヒップホップに傾倒している今、ロックもロックで瀟洒な技術がものを言う頃日に「これでいいんだ」と言ってくれるようなアルバムだった。
それはまるでメタルやハードロックに馴染むことのできなかった彼らがニルバーナに救われたような、あの時のそれに似ている。って知らんけど。しかし私が体感したロックンロールリバイバルが興ったように、オルタナティブロックリバイバルも興るんじゃないかしら、なんて思った。