私だって女にもてたい。妙齢な女と巫山の夢を見たい。だからロックバンドなんかにうつつを抜かし、適齢での就業に合間見えず、こうして口に糊する生活を送っているのだが、いまでも思う。女にもてたい。
ではどうすれば女にもてるのか。私は性格と、経済力と、顔面にいささかの問題を抱えているが、それ意外に特に問題はない。言い切る。しかしふと思った。さいきん腹回りに脂肪が付着しはじめている。
どうしたものか。これでは女にもてない。だから私は眦を決した。ダイエットをしようと思ったのだ。
そう思ったのがいつの日だろうか。幾星霜、ダイエットにチャレンジしてきた。しかしどれも破綻してしまう。どうしてなのかを思慮してみた。根本的に以下の3つが理由だと思う。
ストレス社会
人間社会で生きていると塗炭の苦しみを味わうことになる。人道に悖る卑劣漢が跳梁跋扈している。そうなると人は「ストレス」というものを感じる。これは毒である。人体に多大なる影響を及ぼす。しかも悪いほうに。
下手をしたら死ぬ。まじで。これはやばい。生きねば。と思い人はストレスの抜きどころを探す。ぱんぱんに膨れ上がったストレスを抜くために、時に人は食う。そういうタイプの人間がいる。私だ。
なんでもかんでも人のせいにしてはいけません。と言うが、でもでもだってしょうがないじゃん。俺だってストレスフリーならば「業腹だ!」なんつってカップラーメンとお弁当なんて組み合わせの食事はしないよ。時代が悪い。生まれてきた。
後払い制
もしもダイエットがうまく言っている場合。人は我慢する。耐久する。がんばる。そうして人はダイエットをしていると、がんばっている自分を褒め称えたくなる。するとどうなるのか。
褒美を遣わしたくなるのである。つまり「今日くらいいっか」と思い、ジャムパンを齧ってしまう。そしてこう思う。「明日からまたダイエットがんばればいいや」。こうしてダイエットに「後払い制」を導入してしまうのである。
完全なる精神の惰弱である。この後払い制をうまく払えればよい。しかし後払い制を導入するやつは、その甘えた考えがもうすでに駄目なやつであり、2,3日程度であればその「ツケ」を覚えているが、その先は「まぁいっか」の精神がわきあがってくる。忘れちまうのである。
そして上記のストレスを感じたときに「生きるほうが大事だ」とおもうのである。もちろん生きるのは大事だ。
命に別状がないデブ
ダイエットといってもさまざまな大儀を人はもっている。
それが私の場合、ただ「女にもてたい」というものであり、まったく命に別状はない。ぜんぜん健康診断も肥満じゃない水準だし。ただ腹の周りの肉が気になり、顔の輪郭などがぼんやりしてきてしまっているので、己の矜持のためダイエットをしている。
そんな念慮で、艱難辛苦を味わうのはなんだか無粋というものである。意味ないじゃん。と思う。「もっちー、また太った?」と言われる程度である。「白着てるから膨張色だよ」という。その程度。だからめんどくさくなる。これ以上私になにを望むと言うの。と思うのである。
まとめ
こんなことを思うようじゃ一生私はおなかのまわりにお肉を携えていることになる。でも老少不定、人はいつ死ぬるのかわからないのである。だから今を目一杯たのしんで生きる。だから私はおやつにシュークリームや甘食をかじるのである。
今を生きる。楽しんで生きる。それが一番大事。たとえ腹に肉が溜まっても。