希望をもって生きていたい。私はそういうとこけっこうポジティブで、前途洋洋、眼前に一点の曇りなし! と未来を嘱望して生きている。
でもときおり人生に裏切られることもある。かなしいかな。それもまた人生。そうおもうのだけれども、やはり愛すべき係累からの裏切りはつらい。酸鼻を極める。どうしたって絶望。そんなことが今朝あった。息子がトウモロコシを「トウコロモシ」と言う。
個人的に。息子にはトウモロコシを「トウモコロシ」といってほしい。映画「となりのトトロ」に出演しているメイちゃんがそう言うからだ。メイちゃんは頑是無い四歳児らしく、トウモロコシを「トウモコロシ」という。愛らしい唇から「コロシ」という、漢字に表記すれば「殺し」なんていうぶっそうな言葉が飛び出してくる。
そこに無辜をかんじる。あるていど成長していれば「コロシ」という文字列の響きに社会の闇、言ってはいけないワード感を覚えるが、メイちゃんはそうではない。純白な心ゆえのトウモコロシ。唐藻殺し。かつて日本に侵略してきた唐人を藻を狩るかのごとく殺しまくった伝説の名刀。ドラゴンキラーを竜殺しと言う、みたいな。
だからどうしても息子にはトウモロコシをトウモコロシと言って欲しい。でも息子はトウコロモシと言う。おしい。音位転換おしい。もうちょっとだ。でももうきっとその音位転換は宿痾として彼の唇にやどるだろう。
そうして今朝。イチローに習ってカレーライスをたべていた。レトルトのものである。息子にはキュウレンジャーという戦隊モノのパッケージに入ったものを提供した。
そのなかにトウモロコシがあった。ここだ! と思った。もしかしたらトウモコロシと言ってくれるかもしれない! と一縷の望みを抱いた。
しかし三十一年も馬齢を重ねているとわかる。希望するから絶望するのだ。望みなどもたないほうが人生は円滑に進むのだろう。だからそんな願望を私は捨てた。裏切りがこわかった。
もしここで息子がトウコロモシと言っても海容な心で受け止めよう。それが親の愛だ。どんなに裏切られたってこの子はまぎれもなく私の子じゃあないか。トウコロモシと言うのがこの子のパーソナリティーなんだよ。愛だよ、愛。愛こそはすべて。
そう思って私は息子にひとつぶのトウモロコシを匙ですくいあげ、「これなぁに?」と尋ねた。
息子「コーン!!」
これがパラダイムシフトというやつだな、と思った。