まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

どうしてそれを犬だと認識できるのか

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 過日。ちょっとでかめの公園に行った。バーベキューなどができる公園と修飾すれば想像しやすいかもしれない。そこにドッグランがあった。

 

 ドッグランは大きいドッグ用と小さいドッグ用があった。我が家の三歳児はドッグが好きなので、すこし観察することにした。ちなみにいちばん好きなドッグはアメリカンドッグ。洒落です。笑え。

 

 三歳児が「あの犬、ボールを追いつつ愉快そうだな」とか、「あの犬はよく飼いならされているな」とか、「あの犬はあの犬に好意を抱いているようだな」とか、そういうことを言っていた。おれは疑問だった。どうして容姿のまったくちがう犬を犬だとおもえるのか。

 

 拙宅の近隣住人にダックスフントを飼育している一家と、マルチーズを飼育している一家がいる。そのため、ダックスフントとマルチーズを「犬」だと認識しているのは、まぁ百歩ゆずって理解しよう。いや、ダックスフントとマルチーズもけっこう異種感あるけれど。

 

 その他。路傍で散見できる散歩中の犬も三歳児は「わんわんだ! おーい、わんわーん!」なんて頑是無い発言をしたりする。それは黒いラブラドールだったり、凛とした柴犬だったり、なんだかよくわからない雑種だったりするのだが、どれを見ても「犬である」と認識できている。

 

 上記、散歩中の犬であれば「散歩をしている四足獣 ニアリーイコール 犬」という公式を導き出したのかもしれない。しかし、ことドックランという犬の跋扈するゲージのなかでは、どれも「散歩している」という概念からはずれてしまう。

 

 しかし、ドッグランのなかにいる、「まだ出遭っていない犬」にたいしても、それを「犬」だと認識していた。マスティフやグレートピレニーズ、アメリカンヘアレステリアをなぜ経験済みのダックスフントやマルチーズとどうようの「犬」だとおもえるのか。それが不思議でしかたなかった。

 

 この答えを判然とさせるため、ひとつ仮説をたててみた。もしかして、三歳児の前世はトリマーだったんじゃないか?

 

 それなら得心がいく。もしくはペットショップ関係者。すくなくともペット関連であったことは間違いないだろう。そのため、異種感のある犬にたいしても「あれは犬である」という情報が遺伝子の核に穿たれており、それが反応する。

 

 そういうことを言うと、「人間は動物の特徴を抽象化させて種類別にできる」というドリーマーがわいてくるが、おれはそうおもわない。だってチワワとシベリアンハスキーってぜんぜんちがうじゃん。「いや、なんとなくわかるんだよ」というのであれば、オカピとキリンを一緒だと判断できるはずなんですが、できますか?

 

 なんだかすこし三歳児のことがわかったような気がした。いやでも、おれも見たことない犬を「あれは犬だ」と思えることから、おれも前世はトリマーだったのかもしれない。ってゆうか全人類そうなのかもね。わお。人類の秘密をにぎってしまった。