まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

おれの人生はいつもうまく回転しない

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 今朝。自転車こいで/海を見にいく/夜明けの空に/太陽をめがけ、つって浮き浮きな気性。ジュディーアンドマリーの楽曲を唇に宿し、保育園から駅までの道を、おれはひた走る。どんな悲しい思い出もすべて後ろにして。オーイエー。

 

 すると、遠くの信号機はまだグリーンの光を放ち、「わたってよし」状態であったがため、ラン! ゆうすけラン! はは。ハムストリングスのパワーを高め、自転車を高回転せしめ、ちょっと急ごうとおもったのさ。なぜならおれは止まりたくなかったから。

 

 ゼロの概念とは矛盾にみちておって、つまり「無が有る」ということですもんね。謎*1。かつてV6という歌って踊れる六人衆が「ゼロから君になればいい」と高らかに歌唱しておったが、なんて無責任な。かんたんに言ってよい科白ではないぞよ、なんておもうのである。

 

 つまり、ゼロからイチ。このあいだには、イチからジュウよりも、ジュウからヒャクよりも、より超大な懸隔があるとおもうのである。なにごともパイオニアーがすごいように、ゼロをイチにする、ということの創造性たるや、いわば神の所業であり、おれのような凡百の民には、不可侵な領域である。

 

 しかし、そんな庸列なおれにも、ゼロからイチを生み出せることがある。つまりそれこそが、自転車の出発なのである。

 

 自転車のシステムというのは、ペダルを漕ぐ運動がギアーに伝動し、そのギアーをして車輪を動作せしめる。その動力はなにか? おれである。すなわち、自転車がゼロの運動状態であったのを、イチの運動状態にもっていくのが、このおれの意志と肉体なのである。つまり自転車においておれは神。

 

 でもやっぱり、そんな神でも、ゼロからイチはちょっときびしい。いちど稼動せしめた自転車のスピードをアップさせることよりも、停止した自転車を発車させることのほうが、大腿筋の消耗がいちじるしく、またジャイロ効果を発生させる各種バランス感覚などもひつようとあって、肉体と脳のエネルギーの消費が顕著なのである。産みの苦しみだよ。

 

 だからおれは止まりたくなかった。ドントストップ自転車ナウ。ただおのれの怠慢、といえばそうなのかもしれない。でもだからこそ止まりたくなかったんだ。

 

 しかし、やっぱりな。おれの人生はいつもうまく回転しない。目の前に、集団登校をすべく結集した、小学生たちの群れがあらわれたのである。そのまま猛烈なスピードをしていれば、衝突の危険性がある。

 

 さいきん、人生が順調すぎた。幸せすぎたのかもしれない。愛する妻と子がいて、仕事はつらいけれど、土日はたのしくて、笑顔にあふれていて、子育てはたいへんだけど、うれしいことも多くて、なんだか、こんなおれなんかには身に余る人生だったのだ。

 

 おれにこんな幸せが続くわけがない。知っていた。おれにはいわば、伝統的なあきらめ、みたいなものが根付いている。だからこうして幸せが途切れるのも、仕方がないとおもう。

 

 よっておれはペダルの漕ぎをやめ、万有引力やタイヤへの抵抗という万物の法則をもちいて速度をゆるめた。こうして停止するのだ。おれの幸せは。

 

 だが、ひとつの天啓が舞い降りた。おれがわたるべき道路は丁字路である。その丁の二画目を横断すべきなのだが、小学生の安全を確保する走行をすれば信号が赤になる。しかし、そこが赤になれば丁の字の一画目の横断信号がグリーンになる。つまり、一画目の信号をわたり、角を折れ、さらにもう一度信号をわたる「コの字型」をすればよいのではないか!? という世紀の大発見である。

 

 ただ、憚られた。なぜなら、そんな卑怯な手段を、まだ純情潔白な小学生たちの眼前で披瀝させてよいのだろうか。いや、いくない。ただおのれの怠慢により、未来ある少年少女の心に、卑劣な大人の手段を焼き付けてはならぬのである。

 

 止まろう。またゼロからのやりなおしだ。覚悟を決めた。だが、なんという慧眼の持ち主なんだ、おれは。くだんの信号機は横断の変化がはやく、まだこの距離であれば、スピードを落とし、ゆるやかに徐行することによって、赤になった信号機が一巡、またグリーンに変わると気がついたのである。

 

 だが、って逆説の接続詞ばかり! さいしょにグリーンの信号機をみとめたおれの自転車は、スピードを上げてしまった。そのため、距離がつまってしまっている。赤になった信号機がグリーンに変わるまで走行をたもつには、いつも以上の徐行がひつようになる。

 

 ながい。なんてながい日記なんだ。だれがここまで読むんだ! とおもうけれどしょうがない。真理を言う。自転車とは、はやく走るよりもゆっくり走るほうが難度が高い。つまり、おれは知らず知らずのうちに、むずかしい人生を選んでいたのである。

 

 だが、やった。はは。やってやった。おれは止まらずに徐行をうまくこなし、グリーンの明滅から赤、そしてまたグリーンという信号機の一巡をやりすごし、ゼロからイチの苦しみを得ずとも自転車をのりこなし、信号を合法的に横断したのである。偉業である。

 

 おれの幸せはまだまだつづくんだ。はっはー。って哄笑。この喜びをだれに伝えようか! とおもい、おもわず日記にした次第なのだが、きっとだれもこんな長文を読まないし、「なんなんコイツ、キモ」なんて鼻にかけて嗤われて、おれ超不幸。こんなの書かなきゃよかった。

*1:小松未歩