まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

チョコミントへの期待

A Good Day for Ice Cream

 

「チョコミント」と発言するたびに、無垢な生娘のきぶんになる。その文字列を言葉にだしてみると、三十一歳のおっさんが頑是無い少女のような口もとになってしまう。エビバデセイ。チョコミント。ほらね? 乙女。チョコとミント。トイプードルを飼ったら名前にしたい。

 

 どんなに科学が発達しようにも、「雨傘はずっとあのままなのか問題」を皮切りに、いつまでも解決しない問題、というのが現代ニッポンにある。そのなかのひとつが「チョコミント味、超うまいものがない問題」である。

 

 チョコミントはうまい。ただ超うまいものがない。ちなみに、よく「歯磨き粉の味がする」なんて謎の情報がリークしているが、どんだけうまい歯磨き粉がおれのしらないあいだに開発されているのか。

 

 チョコミントといえばアイスだろう。今般、コンビニなどでチョコミント味という菓子が陳列されている。そのなかで、おっかしいなぁ、とおもうのが、チョコ菓子に「チョコミント味」と記載されていることである。それってただのミント味では? なーんて、小枝、おまえのことだよ。

 

 アイスのチョコミントはうまい。チョコとミントのハーモニー。一見するとチョコの甘みやコク、薫りと相克しそうなミントである。が、その爽快感は、チョコに宿ったあまい薫りに纏綿とし、きらめく一陣の風となって鼻腔を突き抜ける。和音でいったらメジャーセブンス。

 

 しかし、チョコミントはうまさに幅が無い。偏差値でいえばつねに五十七。むろん、サーティーワンのチョコミントアイスと、明治エッセルスーパーカップのチョコミントアイスでは、うまさの水準はちがう。

 

 ただそれは、チョコミントの差、ではないのである。サーティーワンと明治エッセルスーパーカップのうまさの差は「アイスの差」である。けっしてチョコミントの差ではない。

 

 たしかに、チョコミントにおける「ミント感」というのは、一種のチョコミントへの判断基準となりうるかもしれない。ミント感がつよければうまいチョコミントなのか? と問われれば、ミント道楽からすればハッピーであるかもしれないが、ぜんたい味のバランスからみると、けっしてそんなことはない。ばあいによっては、ほんのりミント感、というものが好まれるばあいもある。

 

 しかし、だからこそけっきょく、ミント感というのはうまさに直結しない。チョコミントのミント感というのは、ぜんいんに取り繕われた制服のようなものであって、にんげんの本質とは関連しないのである。しかし、その制服に身をつつめば、チョコミントという限定的な結界に絆されてしまう。

 

 ここがチョコミントの限界である。だからチョコミントに超うまいものはない。ではなぜ、おれたちはチョコミントを食うのか? 「まぁ、こんなもんでしょ」なんて神の感想をもちながら、うまさの閾値を越えぬチョコミントの新商品に、なぜそこまでして手を出すのか? おれたちは、まだ希望をもっているのかもしれない。

 

 幾千劫のときを経て、各企業のオペレーションにより、チョコミントの精髄は極められている。チョコミントは今後、うまくなる可能性がまるでない。しかし、おれたちはいつの日かタイムマシーンが完成すると信じているし、雨傘だって進化するとおもっている。

 

 それとおなじで、新しいチョコミントが出るたびに「衝撃的なチョコミントかもしれない」と期待をこめる。それは希望で脚色された期待である。いつの日か、チョコミントは、より強力なチョコミントとなって時代を覆すかもしれない。信じているんだ。だからおれたちは、「よりよいチョコミント」をもとめて、チョコミントを食べ続けるのだろう。

 

今週のお題「チョコミント」