まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

この夏いちばんうまいアイスはセブンのチョコミント氷

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画像出典元:チョコミント氷 - セブン-イレブン~近くて便利~

 

 ほんとなんなんですかセブンイレブン。こんなにうまいラクトアイスがこの地上に存在していいんですか? ほんとセブンてそういうことする。安価で手軽なコンビニ食を、高次元の超うまいものにしてしまう。市場価値ブレイカーである。

 

 過日。セブンイレブンに行った。もはやセブンイレブンとはエンターテインメントである。うまいものの伏魔殿。ついつい買ってしまう。あれもこれもとショッピング籠に放擲し、きがつくと二、三千円ほどの消費活動である。セブンのせいで今日もおれは貧乏してる。

 

 購入したもののなかに、チョコミント氷というラクトアイスがあった。妻が購入していたのである。おいおい、ラクトアイスとはこれいったいどういうことであるか? 気でもどうかしたのか? というのがチョコミント氷のファーストインプレッションである。なぜならラクトアイスとはアイス界では最底辺のアイス。ってゆうかもはや氷菓子であって、アイスという名を冠することも憚られるのである。

 

「新発売らしい」というのが妻の遁辞であった。なるほど。おれたちは新しいチョコミントの可能性を追求している。きっと死ぬまで。これは手塚治虫でいえば「火の鳥」、いわばライフワークである。だがしかし、ラクトアイス。おれたちはおそるおそる蓋を開封し、冷気ただようミントグリーンに出遭ったのである。

 

 翌日。またセブンに歩を運んだおれたちがいた。チョコミント氷を買い占めるためである。もしおれたちがほんとうにチョコミントを愛しているなら自腹を切って広告費を捻出し、このチョコミント氷のコマーシャルを打つべきであって、断じて独占購入などすべきではない。だがしかし、にんげんとはあさましくも卑しいそんざいである。マジでうまいものに出会ったとき、それをだれにもやりたくない、とおもうのがなぞめいたひとのこころというやつなのである。

 

 チョコミントのチョコミント感を覆すほどの衝撃、というものはなかった。しょせんはチョコミント。そのチョコミントがチョコミントという自分自身を越えていくことは、おそらく世紀をまたいでも不可能かもしれない。しかし、氷菓。これがよかった。すなわち、チョコミントと氷菓との相性がおもってもいない清涼感を宿していたのである。

 

 がんらいチョコミントのチョコミント感というのは清涼感の葉脈であって、本体であるアイスという根幹を彩るためのニュアンスでしかない。チョコミントは主役にならないのである。だが、もっともひとがその木に目を注ぐのは、瑞々しい葉のいちまいいちまいであり、ひとはチョコミントのミント感をその木の識別記号だと認識する。

 

 だがちがう。ほんとうは幹であるアイスを活かさねばならぬ。にんげんは天地開闢爾来、さまざまな根幹にチョコミントの葉を移植しつづけた。チョコレートやクッキー。うまく根幹が生きるものもあれば、死ぬものもあった。そのなかでもアイスというのは各企業がもっとも成功しているチョコミントの移植先なのである。

 

 だが、それはアイスクリームやアイスミルクといった乳性分のおおい、クリーム感のあるものに限った。それをラクトアイスでやる、というのはむりやりな狼藉にちかい。チョコミントを自死においやる行為である。セブンイレブンはあたまがおかしい。

 

 だが、チョコミント氷はうまい。超うまい。ラクトアイスの氷菓感を逆手にとり、チョコミントの清涼感を、その表層的な肉体に宿っていた精神的なチョコミントを、ほんとうのチョコミントを、引き出したのである。

 

 氷菓には、われわれ伝統的な遺伝子にねむっている「和」感がある。ラクトアイスでいえば練乳金時なんてものがあるが、つめたい氷菓にときおりかんじる豆のあたたかさ。これに折衷をおもんじる「和」を感じざるを得ない。それをこのチョコミント氷は体現している。つまり、このチョコである。

 

 口腔内の初撃はミント感が飽和する。つづいて氷菓のざらつく冷凍感とその溶解感。このふたつのエネルギーのぶつかりあいのなか、ふいにおとずれるチョコの異物感というのがおもしろい。しかしそれはなくてはならぬ、夜空に浮かぶ冷たい星々のような存在感である。

 

 アイスのチョコというのは堅い。よってその大きさが重要である。チョコミント氷のチョコはまさに絶妙である。チョコの堅さがめだつほど大きくないし、チョコをかんじないほどちいさくもない。この絶妙な大きさが、過去の氷菓の大家「練乳金時」の豆感にちかく、「和」の安心感と、アイスにおけるチョコのおもしろさを表現しているのである。

 

 なぜここまで氷菓とチョコミントが邂逅したのか。こたえは練乳にある。氷菓と練乳。これいじょうの最適解はラクトアイス界にない。ラクトアイスのトーラーである。セブンは革新的な氷菓とチョコミントの邂逅を果たしただけでなく、そこには歴史にものづいた先人の教え、過去の遺産を踏襲しているのであった。

 

 う、うまい。うますぎる。こんなローカルなコマーシャルのフレーズが口から飛び出すほどのうまさであった。おれは平成最後の夏に、いちばんうまいアイスに出会ってしまった。チョコミント氷。ひとくち含めば宇宙の風が涼風となって頬をかすめる。風が、語りかけます。