まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

ゲームってみんなでわいわいやるものではなく、孤独を肯定してくれる唯一の存在だった

 母親の交際かんけいで、おれは知らないおじさんからプレゼントを頂戴することが屡あった。プレステもそうだったし、MDコンポもそうだった。ずいぶんとラッキーな星のもとに生まれたものである。

 

 そのなかでもっとも人生を揺さぶったのがスーパーファミコンである。あれはたしか祖父母の家に間借りしていたときなので、おれが保育園児をしていたときだとおもう。保育園児にしてスーファミとは大層な御身分である。

 

 最初にやったのはスーパーマリオワールドだった。ひげの配管工がキノコを食べ、恐竜にのったり降りたりして巨大な亀を討伐し、ついでに姫を救出するという勧善懲悪もののゲームである。コントローラーを握りしめ、ボタンを押しジャンプするばめんでは、おもわず身体も飛び跳ねてしまう、という滑稽なエピソードも覚えている。

 

 当時、叔父も同居していた。彼はマリオカートを購入してきた。叔父はカーレースが趣味であったので、ゲームの世界でもレースをしたかったようだ。バーチャルな世界と現実を混在させるなんてまったくもって狂人といえよう。そうしておれは叔父のゲームを借りてやった。そしてなにより、叔父が買ってきたゲームのなかにドラクエⅤがあった、ということが、おれのエポックメイキングであり、そのとき歴史が動いたのである。

 

 おれはRPGというジャンルに惑溺した。じぶんを見失っていたのである。もちろんそのほかのゲームにもチャレンジした。ストツーや餓狼伝説、ドラゴンボールの格闘形式ゲームや、ゴエモンシリーズの横スクロール系、その他パズルものである。しかし、ゲームというものにおれはひとつの美学を見出していた。それは「ひとりでもこんなに楽しめる」ということである。

 

 九十五年に発売されたクロノトリガーというゲームはスーファミの原版のほかに、プレステ版、ニンテンドーDS版の二種類も所有している。ファイナルファンタジーⅥについてはゲームボーイアドバンス版を購入し、ニンテンドーDSにてプレイしていた。

 

 友人から借用したマザー2や、聖剣伝説2、神々のトライフォースなど、あのころはおもしろいゲームが盛りだくさんだった。星のカービィスーパーデラックスとか。小四のころ、登校拒否になった吉沢くんと唯一つながりがあったのはおれと加藤くんだけで、配布プリントを届けに帰り道に寄り、いっしょに聖剣3をすすめたのを覚えている。おれはいまでも聖剣は3がいちばん好き。

 

 しかしおれはポケモンだけはやらなかった。ってゆうかゲームボーイを持っていなかったのである。母が、おれがあまりにもゲームに沈面する様子をみて「この子はきっと外で歩きながらゲームボーイをしてしまう。不注意で交通事故に遭うにちがいない」という判断のもと、それだけは買ってもらえなかった。まぁおれはそもそも「なにかがほしい」というタイプではなかったのだが。

 

 そうしてポケモンの伝説がはじまった渦中に小学生の身分でありながら、おれはポケモンをやらなかった。しかし、この時期まったくゲームなど興味のなかった女子たちもポケモンをやりはじめ、にわかにゲーム界隈が活気付いたのである。これがおれの癪にさわった。この「みんながやりだすと嫌いになる」は一生引きずる性癖になるのだが。

 

 なによりポケモンの通信ケーブルありきのゲーム性、というかニンテンドーの方針のような「みんなでゲームをする」というのがおれの美学にそぐわなかった。ゲームというのは家で食量を貯蓄し、ゆっくりと画面にむかって、ひとりでやるものである。しずしずと淡々と攻略していくこと、ひとりでやること、が前提となっているRPGというゲームはおれに款待をもたらした。おれはひとりでいることが多かったからだ。

 

 小五になるとニンテンドー64というハードが登場した。むろんおれは購入してもらった。小四からは学童保育がなくなったので鍵っ子だったおれは、みんなを家に呼びマリカーをした。おれはアイテムさえつかわなければいちばん速かった。ちなみにスマブラが登場したころ、おれはもう64をやっていなかった。

 

 64と平行して登場したのがプレステである。これも知らないおじさんが購入してくれた。僥倖である。しかも、安いソフトを詰め合わせて。そのなかにはたしかガンダムやエースコンバットなどがあったのをおぼえている。

 

 土日はおれは家にひとりきりだったのでゲームをしまくった。テイルズはデスティニーが発売された。なによりメタルギアソリッドが発売された。おれはもっていなかったが花井くんに借りてやった。のちに自分でも購入した。ちなみにメタルギアはTPPも買った。パソコンに入っている。小島秀夫は数少ないおれの尊敬するにんげんである。デスストもでたらプレステ4とともに買うつもり。

 

 グランツーリスモは高野くんに借りた。FF7はやったが、それよりもたいへんな出来事だったのはFFT、つまりタクティクスの発売であった。FFTにかんしてはおれはアイフォンのアプリにもはいっている。チョコボの不思議なダンジョンはおれの不思議なダンジョン初体験であって、まぁでもじつはあまり嵌らなかった。

 

 アストロノーカ、おもしろかったなぁ。いわゆるこれがいま流行のタワーディフェンスってやつだったのかしら。でFFT好きだ! ってのを重田くんに話したらフロントミッションというゲームを貸してくれた。これがおもしろかった。

 

 フロントミッションといえば、なにかの体験版についてきたっけ。で調べると聖剣伝説ROM。このときにおれはゲームの「世界観」というものを意識しはじめた。おそらくFFTが好きなのもこの世界観が好きだからなんだとおもう。

 

 こないだツイッターで「ブレイブフェンサー武蔵伝、二十周年」という文字列を発見した。リンクを貼ろうか。

 

『ブレイヴフェンサー 武蔵伝』の発売20周年を記念して、特別アレンジ動画“20周年記念 Brave Fencer 武蔵伝”が公開 - ファミ通.com

 

 これもはまったなぁ。ファミ通とか電撃プレイステーションとか読んでいて「これはおもしろそうだぞ!」とおもい、夏の誕生日プレゼントを前借して買ってもらった覚えがある。

 

 それからドラクエは7で終わり、ファイナルファンタジーは10でおれはゲームから遠ざかった。ちなみにFF10は高校受験の夏に発売されたのだが、「これは勉学との狭間でゆれてしまう」とおもい、買って徹夜して二日くらいでクリアした。これで勉学に勤しめるとおもったらみんなから「ここはどうやってクリアするのか」と詰問されて、おまえら勉強しろよ、とおもった。

 

 もうゲームをすることは時間的にもなくなったが、これからきっと息子がゲームをするのだとおもう。おれはいまだに、ゲームとは孤独を肯定するものである、とおもっているのでみんなでわいわいゲームをするのは苦手であるが、もし息子とマリオカートとかできるなら楽しいだろうな、なんておもったクソ長い日記だな、おい。

今週のお題「ゲームの思い出」

アルティメット ヒッツ ファイナルファンタジータクティクス

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