まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

末永直海著「百円シンガー極楽天使」にかんじる懐かしいにおい

 中古で文庫本を購入した。なつかしいにおいがした。ってノンノン。メンタルな「なつかしいにおい」ではなく、めっちゃフィジカルな「なつかしいにおい」。すなわちそれは、あの一人暮らししていた北区の、三田線沿いの、入り組んだ路地の、坂を下った先の、日当たりの悪い、築二十年の、家賃六万八千円の部屋の、クローゼットのなかの、におい。

 

 このにおいを放っているひとに電車で出くわすことがある。どうやら築二十年の建物をリフォームせずにいると、かような湿り気とかび臭さを帯びるようになるのでは? ってのはおれの推量ですがな。がっはっは。

 

 言っちゃあ悪いけど、ってゆうか、おれもこのにおいを放っていた当事者なのだけれども、貧乏くさいにおいだ。しかし、そのにおいがマッチングする小説だった。

 

 ドサ回り。ニセ演歌歌手。輝ける芸能界なんて到底おぼつかないちいさなヘルスセンター。ギャランティは一万八千円、もしくは一万三千円。食えない。なんとか糊口をしのぐためおひねりを頂戴する。でもいただいたおひねりは生活に当てることなくステージ衣装である着物にあてる。健気。ってゆうかプライド? それは歌に魅せられたにんげんの憐れなでちいさな、しかし「これしかない」という一種の気概じみた、生命の原動そのものだったりするのだろう。文中、「歌はどれだけ人を殺しただろう」的な意があった。うう、身に覚えが。ワナビーがみんな「好きなことやろうぜ」つって夢を追走していたらまちがいなく人類は滅亡する。最終章、雪のなかをガラゴロを引き連れてあるく。「そんなことしてなにになる」。痛い。この一文は痛い。やばい。つらみ。ものまねタレントの特攻。そういう二、三十人のエンタメ。それでいいんだろう。それしかないんだろう。この諦念にも似た百円シンガーとしての自負。誰にもなれなかったけれども、インスタントな存在だけれども。ってゆうね。それ泣けます。ほんと。そんなインスタントな存在のにんげん。ってにんげんってそんなものなのかも。ただひとりにんげん、オンリーワンになるのにひつようなのは愛だよ愛。そんなんわかってるんだよ。ってそれを捨てる。落ちていく。勝手に堕ちていく。でもね。そうやってひとは生きていくんだよ。ってね。軽妙な文体。女性作家特有の俯瞰した自己心理。それにたいする悪意しか存在しないツッコミ。綿木りさというひとの本もむかし一冊だけ読んだけれども、そんなような性格の悪い女感があった。それにしてもいい本でした。なんだかバンドしてたときを思い出した。おれの荷物はCDと楽器とアンプだけ。あとすこしの衣類。なつかしいにおいがしました。

 

百円シンガー極楽天使 (新潮文庫)

百円シンガー極楽天使 (新潮文庫)