まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

はじめての「りらくる」

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 慢性的な疲労に苛まれている。てんけいてきな虚弱体質である。そんなおれをみて妻は、折に触れ「マッサージでもいってきたらどう?」などという提言をするのである。


 なんてあさましいことを。ってゆうか、「マッサージにおける疲労回復」≦「マッサージをうけるにあたって必要なマッサージ師との対話やその他もろもろの煩雑な事務から発生する疲労」、という方程式が、おれの精神に牢固としてある。

 

 というか、きほんてきにひととのコミュニケーションを苦手とするおれは、そういった対人折衝というものに疲弊しているのに、さらに疲労を蓄積させるようなことを言うのか。


 だがしかし、こんなにおおきい大人になったおれが、マッサージのひとつも体験していない、というのは、それこそが「経験不足」という超重量級の桎梏となり、まわりのひとびとがマッサージ談話で談論風発しているさなか、おれオンリーが「マッサージあるある」に興じることができずにひとりぽっち。嗚呼、悄然。なんてことに相成るのではないか? そんなことになったらば、ただでさえ会話に乏しいおれは、また偏屈なにんげん、狭隘な変人、という認識を強めさせてしまい、みんなでいっしょにいるのにひとりでいるときよりももっと孤独。みたいなことになってしまう。


 それはいけない。人生のピンチである。ここで勇を鼓し、マッサージに行くことで、おれはまたひとつ立派な大人に近づくことができる。ここで行かなきゃ男じゃねぇ。さらにいえば、「マッサージにおける疲労回復」≦「マッサージをうけるにあたって必要なマッサージ師との対話、その他もろもろの煩雑な事務から発生する疲労」のポイントはそのイコールのぶぶんですね。つうことは、たとえ対人における疲労が蓄積されたとしても、よくてトントン、という状況になりえるかもしれない。

 

 というわけで、拙宅からチャリで五分ほどのところにある、「りらくる」というチェーン店舗のマッサージ店に歩を運んだのである。

りらくる(リラクル) | 全身もみほぐし60分2,980円(税別)のリラクゼーション

 

 結果から書きたい。からくも「よくてトントン」には持ち込んだ。電話予約という上級者テクニックも駆使した。とくに煩雑な事務ごともなかったし、「全身もみほぐし」というコースをチョイスしたのだが、そのマッサージは、さすが研修を終えたプロ、というかんじがして、なかなか効いた。

 

 その「りらくる」というサービスにおいては満喫した。つまり、なんの障壁もなく、うまいぐあいにマッサージを受容できた、ということにはなる。なるにはなるが、やはりその対人折衝におけるおれの疲労、というのは蓄積されてしまったのである。

 

 というのも、なぜだかおなじ日本語を駆るにんげんなのに、いちいち会話がピンとこねぇ、みたいな、会話の相性がわるいみたいなひとが一定数いて、まぁ、なんの星のめぐりあわせかしらぬが、おれの担当者が、そういう御仁だったのである。

 

 むろん、施術中は会話をしない。だが、「腕おろしますね」「はい」とか、そういったイエスノーの受け答えだけであっても、その「間」というのが絶妙に食い違う、というか、潤滑感に欠けたコミュニケーションというか、じゃんけんで例えるならいつまでもアイコ、みたいな会話の決着がつかない、煮えきらぬおもいをたくさんしたのであった。

 

 そこそこ繁盛していた店なので、周囲の客と店員の会話も耳に入ってくるが、みんな円滑な会話を走らせていた。おれはくやしかった。もっとおれに話術があれば、とか、おれはどうしてこんなににんげんとの会話に難渋するのだろう、とか、いろいろと自身の身を呪った。

 

 さらには、施術中、とてつもない屁意*1をかんじた。リラクゼーションを目的とした施設なので、屁をはなつことがまったき悪、とはならないだろう。しかし、ここでぶっぱなしてしまったら、店員殿にメイワクがかかるし、むろん胡麻化そうにも、その発生源はやにわに特定され、「非常に貧相な食事をしているひとだ」なんておもわれたら、おれのプライドに傷がつく。

 

 たいへんだった。だがマッサージはそこそこ効果があったようにおもう。「マッサージにおける疲労回復」=「マッサージをうけるにあたって必要なマッサージ師との対話、その他もろもろの煩雑な事務から発生する疲労」になった。税込み三二一〇円を支払い、またひとつ大人になった気がした。

*1:屁がしたい、と心の底からおもうこと。尿意みたいな