まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

のり弁のコロッケをいつ食うのかという問題

 血液型や生まれた月日の守護星によって、人格や人生を紋切り方にあてはめる。そんな軽はずみなアクションがなされて早幾世。おれたちはこの時代に疑問をもたなくなったが、かくなる運命的な数値のみに人生を断定されるよりも、やはりもっとその人の行動にもとづいて人格を判断すべきだとおもう。

 

 だからおれはひとを見る。遺伝子や、天命や、細木数子にそのひとを見るのではなく、ひとの挙動によって、その人物像を見る。たしかににんげんは合理的な生きものではない。だが性格や品格はすべて行動に映し出される。だから「のり弁のコロッケをいつ食うか」というのは人生においてけっこう大事なことだったりする。

 

 コロッケはおかずとして、陽の波動と陰の波動をあわせもつ。二律背反の食い物である。どうゆうこと? とおもいましたか? 

 

 つまり、唐揚げ、しょうが焼き、納豆、とんかつ、ハンバーグ、豚キムチ、辛子明太子、中華(クックドゥー全般)、チキン南蛮などという「めっちゃごはんに合う」ものは、いわば陽の波動をもっている。

 

 陰の波動とは、クリームシチュー、おでん、やきとり(串もの全般*1)、グラタン、お好み焼き(関東圏)などの「これどうやってごはん食うねん」みたいな食い物のことである。

 

 稲作文化の日本において、白米にあわぬ陰の波動をもつおかずは少ない。だが、ときおり陽の波動とも、陰の波動ともつかぬ、謎のおかずに遭遇することがままにある。しかしそれは弁証的に「陽と陰の波動を併せ持つ」ということである。例えば、かぼちゃの煮物である。

 

 かぼちゃの煮物は、南瓜を砂糖、醤油、みりん、酒などで煮しめる食い物である。煮物というのは日本に古来より伝承されたもっとも米文化に適した食い物とされているが、カボチャの甘み、穀物感、独特の粘りと煮物感が綯い交ぜになり「これはご飯に合うのか合わぬのか」という甲論乙駁がなんども繰り返されてきた。おれは合うとおもう。

 

 つまるところ、ある一定の食い物にはおかずとして陽の波動、陰の波動が併合されているのである。そこんところで、やはりコロッケ。これも陰と陽が宿っている。

 

 コロッケの正体はしょせん芋である。芋で白米が食えるのか、という疑念がある。疑念というかタブーにちかいそれである。それってやっていいの? みたいな。しかし、一方でコロッケは揚げ物である。揚げ物にソース。ごはんに合う。

 

 したがって、あつかいに困る。個人的にはコロッケはおかずとして陽の波動派。言ってしまえば「おかずとして最適解」とおもっているが、それを言ってはばからず、「コロッケ、陰の波動」派閥を、初手から無闇に世界のはじっこに追いやることなど、おれにはできない。

 

 のり弁のコロッケを垣間見た瞬間、それを箸で摘み、かじりつき、海苔をつきやぶって白米をわしわし食う、というのは、「コロッケ、ごはんに合う合わない」論争の引き金になる。

 

 そんなことをしたら「差別反対。人類平等」をキャッチコピーにやってきたおれの人生は疑いの目を向けられてしまう。だからのり弁のコロッケを、どのタイミングで食うか、というのは人格判断において要諦なのである。

 

「のり弁」という短編においては、やはり主役から始まるのが好い。したがって、おれはまずメーンというべき白身魚のフライに手をだした。これをふた齧り。けっして食いきらない。物語の主人公はまたさいごに登場するものなのさ。

 

 ちなみにのり弁というのは、「かじったおかずをそのまま受け入れてくれる」という、たいへん懐の深い食い物である。のり弁に理解のない品行方正なオトナは「はしたない」というかもしれないが、わかってねぇ。そういうのはのり弁において黙殺します。

 

 そうしておれはのり弁の本体である海苔と鰹節と白米を食う。食うというよりも掘削作業にちかいものがある。搭載されているおかずをよりわける。この作業味に、一種のデカダンスを覚える。

 

 話が逸れたが、ここでおれはコロッケを食うべきだ! とおもった。白身魚のフライで海苔鰹節白米の混淆物を食う。口のなかにはまだそれが残っている。ここでコロッケの投入。これであれば、口腔内のごはんといっしょに食うことが可能で、「コロッケ陽の波動派」はうれしい。さらに、一応ごはんとコロッケはべつの段取りを踏んでいるわけだから「コロッケ陰の波動派」も納得できるだろう。

 

 おれは天才かもしれない。とおもい、そのコロッケを一口かじった。メンチカツだった。みんな、気をつけて。ほっともっとの特のりタル弁のあいつはメンチです。気をつけて。

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画像掲載元:特のりタル弁当 | メニュー | ほっともっと

*1:異論があるとおもうが、串ものはご飯と食うさい、串から箸にもちかえる、という点で食事のリズムが乱れる。「串からはずせばいい」という意見もあるかもしれぬが、そんなの興ざめである。てめぇはなにを食いにきたんだ。