おれは父親だ。たとえいかなる障壁があっても、息子の願いはどんなことでもすべて叶えてやりたい。カネがなくてもいい。ほしいものなんてない。おれのプライドなんてどうでもいい。息子よ、おまえのしあわせがいちばん大事だ。この熱い熱い不退転の決意。
そういうことでおれは先日、品川にある「アクアパーク」に行ってきたのである。三歳、つうかもうすぐ四歳になる息子が「水族館にいきたいなぁ」とか言い出したがために、すべてをかなぐり捨て、おれは水族館いくと腹に決めたのである。
都内には何箇所か水族館がある。江戸前だから? さいしょは池袋にあるサンシャイン水族館に行こうとおもったのだが、事前調査、息子にヒヤリングをしたところ「イルカがみたいんだよぉ」とのことであった。サンシャイン水族館にはたしかイルカが不在であって、メイン見世物は水族の鳥類だった。がっくりされるのも悲しいので急遽、品川のアクアパークに進路を変更したのである。
品川駅を降りる。プリンスホテルに向かう。序盤、ちょっと迷ったのだが、おなじ水族館にいくと思われる風采をした親子連れがのこのことやってきた。よってちょっと尾行してみたところ、なんとか無事にたどり着くことが出来た。頭脳プレーであった。
チケット販売所には門前市を成す、というか当日券をもとめる人びとで殷賑としていた。おれは事前にネットで入場切符を購入していた。これがまたややこしかったのだが、やはり「仕事は準備が九割」をスローガンにやってきたおれは、水族館ひとつにしても出来る男を演出してしまったのである。
水族館とはいい条、エントランスにまずあったのは、イルカやアシカ、その他貝ガラを模したとおもわれる、回転式遊具、いわゆるメリーゴーラウンドであった。
こんなまやかしもので来場者の心を千々に乱すなんて、水族館の風上にもおけねぇ。とんでもねぇ食わせもんだ。なんておもってとおりすぎようとしたところ、息子が「のりてぇな」と言うので乗った。この水族館、一筋縄ではいかねぇよ。
入り口を進むと、ガラスの表面にタッチパネルをこしらえたエンタメ系の水槽があり、魚のCGが浮かびあがる。同時にその生態、生息地域などの情報が浮かんでくるので、ひとびとはそれをして魚の研究に熱心になっていた。
このアクアパークの要諦としてクラゲの展示物がある。たしかに幻想的で美しかった。赤、橙、黄、緑、青、紺、紫にライトアップされるジェリーフィッシュの妖艶な姿は、この生きものの不思議な感覚にいっそうの拍車をかけているようであった。
しかし、ちいさい水槽が続くので、「やっぱ品川の地価がやべぇんだな。でかい水槽はいれられねぇんだ」とおもっていたところ、二階に上がりおれは愕然とした。自身の「品川、その港区における経済力」を侮っていたことを悔いた。とてつもないショー会場が広がっていたのである。
ここでイルカショーが開催される。生け捕りにされてきたイルカたち、もしくは養殖されたイルカたちが、餌食を出汁に曲芸をするのである。人間社会に染まったイルカたち。プールのなかを悠然と泳ぐふりをして、彼らは人間に洗脳されているのである。
しかし、ひとたびショーが始まると、そんな思想は吹き飛んでしまった。イルカたちがとてもすばらしかったのである。尾びれで水を弾き、客席を水浸しにしていた。観客はカッパを来て防水につとめる。喜んでいる。
おおきくジャンプすればすさまじい水柱が上がる。なかでも鯨の仲間である巨大なヤツは、その巨体をいかし、観客に海水を食らわして、すごいエンターテイメントを演出していたのである。
低音の効いたダンスミュージックが流れまくる。ヘアスプレーの「ユーキャントストップザビート」。おれは感動していた。イルカの曲芸にも感動したが、それをみていた息子の顔が太陽のような笑顔に満ちていたのである。
挫折したイルカもいただろう。この能力主義の世界を生き残ったイルカたちは、息子にこんな素晴らしい笑顔を咲かせてくれた。ありがとう。イルカたちよ。きみたちはきっと幸せになるよ。ブラボー。ほんとブラボー。
イルカのショーが終わると、その先には「これだよ、これ。これが水族館ってやつだよ」ってなでかめの水槽があった。鮫とかいた。ワンダーチューブなんてトンネル型のやつもあって、いいね。ノコギリザメいいね。いいよ。まじで。
しかし、ようやく水族館たらしめる水槽が演出されていたが、息子はイルカで燃焼しきったようだった。さっ、っと観賞しておわってしまった。というか、その先に見えた土産ショップに気持ちを奪われてしまったようであった。
おれは貧乏なのに、こういうところに来ると「記念だ。思い出だ」と言って、愚にもつかぬものを買ってしまう。そうしてノコギリザメのぬいぐるみをみごとに購入した。息子は喜んでいた。よかった。また貧乏をすることになるがよかった。
三連休初日、土曜、雨天。そこそこ人がいた。けっこうたいへんだった。こうして水族館の旅はおわった。じつは息子とふたりきりで電車にのって都内に出てくるのは初めてであった。ふたりで車に乗りそのへんに行くことはあっても、品川くんだりまで出てくるのは初体験である。
不安であったが、とてもたのしいデートだった。息子を楽しませるつもりが、じつはおれがいちばん楽しかったのかもしれない。