良い情報を風聞した。ギャバと称されるカカオ食品を経口摂取することにより、精神の底に蟠った恐怖、怨恨、哀愁、疑惑、嫉妬、憤怒、憎悪、呪詛、焦慮、後悔、卑屈など、いわゆるパンドラの箱からとびだしてきた幾多のストレスを緩和することができる、という情報である。
おれは取る物も取敢えずコンビニに急行した。そんな時代の必須アイテムが、医者の処方箋もいらず、最寄のコンビニでいともたやすく手に入る、という情報も立て続けにキャッチしたからである。
ちなみにここで「おれはすごくストレスに耐えて生きているんだ」ということが言いたいわけではない。世はまさにストレス社会と叫ばれて久しい。けっしておれに夥しいほどのストレスが降りかかってきているとは思わぬのだが、そんなにストレスが蔓延っているのであれば、いちお予防的にギャバを摂取しておこうかな、とおもったのである。
ストレスに多大なる関心が寄せられる昨今、「払底しているかもしれぬ」という不安を胸にしながら、おれはコンビニのチョコレート棚を血眼で検分した。あった。しかし、そこには思いもよらぬ落とし穴が待ち受けていたのである。すなわち「ストレスを低減する」という惹句が大きく印刷されていたのである。
こんな文句がおおきくプリントされていたら「ギャバを所持していること」ニアリーイコール「おれは今まさにストレスに呻吟しています」と図式が成り立ち、おれは自分の苦しみを大々的にアピールすることになってしまう。
はっきり言ってそれはちょっと恥ずかしい。病弱な幼少の砌、おれは喘息という疾病でたくさんの薬品を服用していたのだが、それを給食のとき「おれはこんなにクスリのんでるんだぜ」というふうに自慢気をおこしていたことがあった。なんだかそういうイキった小学生の恥ずかしさがあるのである。
また、周囲に「この人はストレスに曝されている」という情報を公開してしまうこととどうなるか。とんでもないことになるのである。たとえば仮に、おれの周囲に「ストレスを低減させる」などと謳っている商品をデスクに忍ばせているひとがいたとする。したらばおれは「もしかしてそのストレス、おれのせいなのかも」などと後ろ暗いおもいにおちいってしまう。
すると自然にその人に対する憐憫が高まり、仕事が振れなくなってしまう。その仕事はどうするのかというと自分でなんとかするしかない。となると自分自身に負担がかかりストレスで圧死寸前となる。するとギャバに手を出す。すると他のひとがおれに仕事が振れなくなり……という斟酌のパンデミックが発生するのである。
そんなストレスのドミノ倒しが「ギャバ」というカカオ食品によって引き起こされる。これはヤバイとおもった。GDPの低下により、国家の存亡にかかわるとおもった。いまおれがギャバを購買し、ひょんなきっかけでそれを服用していることが暴かれれば、おれが国家崩壊の爆心地になってしまう。
おれは涙を飲んでとなりに陳列されていたガルボを手にした。チョコレートの親類であるガルボにならすこしはギャバの成分が含有されているであろう。そんな一縷の希望を腹の底に秘め、コンビニをあとにしたのである。
だが執務室にもどると存外な事実が待ち受けていた。なんと朋輩の島田のデスクにはその爆発物である「ギャバ」が軽率にも設置されていたのである。
貴様、なんてことをしてくれたんだッ! みんな伏せろ! と叫びたかったが、かくなる破廉恥な赤いパッケージにだれも気がつかないのか、社員はみな淡々と業務をこなしているのである。
ギャバの危険性に気がついているのはおれだけなのかもしれない。ここはひとつユーチューブにチャンネルを開き、ギャバ爆発よる誘爆の危険性を説かねばならぬ。そう不退転の決意をしたのだが、なんと! 事務方である友部さんが抽斗から取り出し、その口に放り込んだのは、なにを隠そう渦中のギャバだったのである。
もう手遅れだ。すでにギャバの崩壊は始まっていたのだ。おれが気付かぬうちにギャバの魔の手はこんなところまで来ていたのだ。幸いにも、まだ業務の進捗に影響は出ていないようだが、いつ瓦解するとも知れぬ会社の先行きに不安を抱えているおれは、いままさにギャバを大量に摂取し、なんとか精神の安定に努めているのである。
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