なにかにつけて過去の苦労話をする、そんなおっさんほど悲しい生きものはないが、このおれの塗炭の苦しみを吐露させていただけるのであれば、腰痛がつらいのである。部活がよくなかった。
高校のころヘルニアになった。部活のオフ期に養生したため、ヘルニアはなんとか小康状態とらくちゃくした。だが爾来、おれの人生は、腰痛との闘いに日々明け暮れることとなったのである。
これではいけない。なんとかしなければならない。生活とは改善の連続である。眉宇に決意をみなぎらせ、おれはついに生活へ「腹巻」を導入することにしたのである。
腰痛は季節の変わり目にやってくる。金木犀の風香る秋、静寂と寂寞の冬、さらにいえば大気に喜びの気配満ちる春でさえ、腰の痛みを誘導する。こんなかたちで日本の美しい四季を感ずることになろうとは、おれはおもってもみなかったよ。
入念な諜報活動をこころみたところ、どうやら「一定の温度を保つ」ことが要諦らしい。むろん、ぎっくり腰などの炎症による腰痛は冷やしたほうがいいようだ。しかし、日常的に腰痛に辛苦しているのであれば、血流が悪いことが原因であるらしいので、暖め、血流を促進し、とにかくいつも一定の状況においておくことがポイントらしい。
それなら赤道直下あたりに引っ越せばいい。そうおもってもみたが、異国の文化にあかるくない。家族もいるし、活計の憂いもある。就労ビザの問題とか。テロもしんぱい。ほんと生きるってたいへんですよね。でも、それよりもなによりも、おれはこの国が好きだ。
腰痛とこの国で暮らす。そのためにマストなアイテムが腹巻である。そうおもったのは、この一年、腹巻生活をしてきたからです。最初は、こんなことで腰痛が抑えられるのか疑心暗鬼でした。けどためしてみてびっくり。ほんとに良くなったんです。
埼玉県に住む望月さん(三十二歳)は、ふたりの男の子と元気に遊ぶ子育てパパ。わんぱくな息子さんとパワフルに遊べるのは、腹巻をしているからだとおっしゃっています。
「急にピキっとくることがなくなりました。とくに寒くなってくると、痛みというよりか、苦しい感じが腰のあたりでもやもやするんですけど、それも少なくなった気がします。もちろん全然まったくなくなったってことはないんですけど。それでもふつうにしていられるくらいです。もう季節の変わり目がこわくなくなりましたね」
そんな望月さんがつかっているのがこれ。カラーのバリエーションもあり、公私TPOによって白や黒を使い分けているそうです。
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最後に望月さんは語ってくれました。「いままでなんで使ってなかったんだろう、って。こうして子どもを抱っこしたり、肩車したりできるのは、腹巻のおかげですね。ほんと使ってよかった」
しかし、腹巻をすると問題点がいくつか浮かび上がる。ワイシャツから透ける。胴回りが太く見える。腹巻をしているということが周りの人間に知られたとき恥ずかしい。などであるが、もっとも日常的に問題になるのは、腹巻は「穿く」ものなのか「着る」ものなのか、ということである。
この一年、こればかりを考えてきた。腹巻を装備するさい、これを下からいけば「穿く」。けれども上からいけば「着る」。ひどく曖昧なのである。もちろん、これは個人の好みによることでもある。腹巻を下から穿くひと。腹巻を上から着るひと。みんなちがってみんないい。
しかし、ちがいは論争をうむ。互いの正義は相容れない。ゆえにおれはこの「腹巻あいまい問題」について、ひとつ究極の答えを出した。だからもうみんな心配しなくていい。その答えとは、すなわち、腹巻とは「つける」もの、ということである。この発想の原点は、おもに女性が使用する下着、ブラジャーから得たものである(以下ブラと省略表記する)。
ブラは着ない。上半身に身に付けるものでありながら、それは「着る」という動詞を用いない。そう、ブラはつけるのである。ブラの装着維持はおもにホックと呼ばれる金具をもちい、胸囲を囲わせしめ、そこから発生する張力をもって、地球の重力による脱落を阻止している。肩のひもは補助的な役割らしい。
これは腹巻にも通底する原理である。腹巻にはゴムが内蔵されており、そのゴムによる張力をおもな固定原理として腰に維持させる。着る穿くというのは、腹巻への導入であって、状態ではない。腹巻は張力によって「ついている」のである。
腹巻は着てもいいし、穿いてもいい。けれども結局のところ「つける」というのが中庸の徳である。そんなところで話の腰を落ち着かせたいですね。
※ちなみにこの記事に医学的根拠はまったくありません。個人の感想です。