最近、なんのコマーシャルかわからんのだけど、竹原ピストルの「よー、そこの若いの」という曲が、テレビジョンにHDMI接続したパイオニアの5.1chスピーカーから流れてきていることに気がついた。
さっそくの余談であるが、最近なんのCMだかわからないCMが多い気がする。なんで桃太郎やねん。いやしかし、いいCMだ…と思うと聖教新聞。神を信じてしまいそう。
「よー、そこの若いの」で歌われている内容なのだけど、と、先に断っておくと歌詞の内容で歌を聴くのはナンセンス。
しかし竹原ピストルは別。アイツはまじすげぇ。アコースチックギターを枕や大根おろし器、はたまたアクセサリー、そして孫の手、の代替品として使用する男。つまりギター一本だけで生きているミステリアスガイ。
ちなみにこの「よー、そこの若いの」が入っているアルバム「youth」は駄作であった。前作「BEST BOUT」はとてもよかったのでそちらを聴きましょう。
「よー、そこの若いの」のメインテーマはこう歌われている
よー、そこの若いの
俺の言うことを聞いてくれ
「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ」
という内容なのだけど、もはや無理難題。
こんなん言われたらどうすればよいのか。聖教新聞になら答えは書いてあるのか。
じつはこの歌詞の内容に既視感があって、さてなんだったろう?なんて思う間も無くグリーンデイのウォーニングというアルバムだと気がついた。
グリーンデイもだいたい言っていることおなじだから割愛するが
警告する!警告無しで生きろ!
というもの。ちなみにホントは英語で歌っている。グリーンデイはアメリカ人なので。アメリカ人がしているのは割礼ですが。
ついでにこれも本日の本題からはずれる内容だが、このウォーニングは全体的に曲調がポップス的であり、当時パンクバンドとしてグリーンデイの賛否が分かれたアルバムだ。
しかし私はこのウォーニングこそがグリーンデイの最大のパンクアルバムだと思っている。
既存のパンクソングが猛威をふるい、どこもかしこも似たようなバンドばかり。パンクバンドがやりたくてパンクソングをやるのは全然パンクじゃないんだぜ!って思いませんか?私はそう思います、という反語。
そこで出したこのウォーニングというアルバムの一曲目であるウォーニング(ややこしいが事実なのでしょうがない)は上記のごときことを言っておるのだけれども、歌詞の「警告」を「パンクロック」という単語に当てはめるとなかなかどうして型にはまったパンクバンドに対する警告になると思っているのだけどどうだろうかしら?
警告!警告無しで生きろ!と言われ、そんなん無理じゃん…と思い続けて大人になった私。
ということであまり他人の教えを素直に受けることができない体質になってしまった。
どんな確立された方法論であっても、従いたくなくなってしまう。
たとえば「人生は楽しんだもん勝ち」
と言われると、いやそんな楽観的に生きられるかバカ、こちとら必死こいて生きてんのじゃぼけなす。と思ってしまう。グリーンデイのせいでひねくれた。
文章の一人称についてもそうだ。
私は日本語の「ぼく」というやわらかくも意志のある文字が好きで使っていたが、なんかの拍子に「文章の一人称は【ぼく】にしろ」みたいなコトを誰かが書いているのを目撃してからはさぁたいへん。俺、小生、拙僧、拙者、アタイ、ぽっくん、いろいろ考慮した上で私に落ち着いたが、文体的に書きやすくなったのでまぁこれでよいのかな、とも思っている。
しかし、その「警告無しで生きろ!」という警告を真に受けてしまっている時点で、もうどうしようもない。けっきょくだれの言うことも信じられないままでいるが、グリーンデイだけ信じている。パラドックス。
だからせめて「俺らしく」と思っている。
「俺らしく、俺らしく」と歌っていたのはTHEイナズマ戦隊。歌詞で歌を聴くなんてナンセンスとか冒頭で言いながら、たいへん意識している。
結局のところ、いろんな歌詞に毒されている。これもまたパラドックス。
私はこうして自分に都合よく、自分に言い訳のできそうなモノだけチョイスして生きている。
ということで、こんな日記を読むより自己啓発本でも読んでいたほうがマシかもしれない。
しかし、わたしの自己啓発は、自己啓発本無しで自己啓発することである。ナンセンス。