まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

car10というバンドのCAR10というアルバムがよかった

私はアップルミュージックという月額制音楽配信サービスを受けている。ときおり適当に存じあげないバンドを選んで聴いている。

それはとれも瀟洒なアルバムアートだったもので聴いてみた。car10というバンドだった。かっこよかった。ジャケの小洒落たかんじは皆無だった。群馬や茨城でライブ活動をしている日本のバンドだそうだ。

 

正直「なにがいいのか?」と問われると説明しにくい。演奏なんてテクニックは皆無だった。ちなみに歌はへったくそだった。ボーカルさんの声はへなへなだ。でも良いものは良い。

 

では、ってゆうか、なにが私を魅了したのか。

たぶんこいつらはバンドやってなかったら死んでる。そんな感じがした。自分のなかでいろいろ溜め込んで死んでるタイプの人間がやる音楽だと感じた。私は彼らを聴いてすこしTheピーズやアンディモリを思った。

 

鼻歌をそのまま歌にしたような肩の力の抜けたメロディがよかった。「くらい街でも」という1曲目でやられた。ほんとうにとてもよかった。酔っ払って終電を逃したらこの曲を口ずさみたくなると思う。心地よい夢想感に満ちた曲だった。

 

たどたどしくて優しくて、頼りないそのメロディには甘美な香気がある。だからメロディはとてもポップだ。「マチフェス」という2曲目も極上のポップネスを聴かせてくれる。しかし彼らの腹の底にあるのはパンクロックの衝動に似ているなにかだと思う。そしてだからこそ3曲目の「Best Space」はパンクロックの躍動感があった。

 

酩酊してるかのごとくへろへろなボーカル。終始コーラスという音響装置が作動しているギター。躍動感を担うドラム。最低限必要な部分をうめるように這うベース。シンプルだ。

でもどこか燦々としている。ピンボケしたような光の玉のようなきらめきがある。透明感あふるれる若々しい光のようなポップセンス。4曲目の「Night Town」はまさにそんな曲だった。

 

世の中に横溢する頭のよさそうなバンドって、とても精緻で巧妙だと思う。建設的で音に隙がない。メディアという媒体をどこかしら意識しているような覚えを起こす。きっと彼らは音楽をやっていなくてもなにかしらで生きていける。時代の感覚を持っている。

 

しかし残念ながらcar10にはそれがなかったように思える。

不器用さ。もしかしてこの雰囲気を狙って出しているのかもしれないが、狙って出せているのなら天才だと思う。でもきっと違う。違っていて欲しい。たぶんcar10はcar10の曲しかできない。でもそれは時代に忘れ去られない普遍性だ。


油断ばかりだ。このバンド。
しかしその危うさみたいなものと、潔さ、不器用な演奏に表現者としての韜晦がある気がした。

 

これは流行りの音楽ではない。媚びない。焦点の合っていないぼやけたメロディは耳障りがよく、しかも優しい。弱さをしっている優しさ。それは斉唱がまたポップさを引き立てる5曲目の「My Bread」で感じた。

 

6曲目「Milk Tae」という曲はウォーキングベースと裏ノリのギターがまさにピーズっぽいんだが、半テンしたりで展開がおもしろかった。

 

ピーズぽいと言えば、人生の放擲具合が、遣る瀬無さが、あきらめがあるような曲だと思うのだが、それは8曲目「今日もこんなもんさ」でやけっぱちに、9曲目「Go Back」でダウナーに、鳴っていた。

 

7曲目「Pale Blue」と来て思う。だいたいおんなじに聞こえる。忌憚なく申し上げれば、音楽的素養なんて一切ない。ただきっと彼らは自分の歌が歌いたいんだと思う。私はそんなところが好きだ。

 

アルバムの最後は「Block Party」という曲なんだが、峻烈なポップネスなのに根底にある彼らのアティチュードはおそらくやはりパンクロックとその衝動だなとおもった。リバティーンズとか好きなのかもしれない。

 

良いバンドって売れることが必須条件かもしれない。だけど、私の中ではそうでない。良いバンドって自分たちにしかできない音楽をやっている人たちだ。car10にはそれを感じた。みんながみんな好きになるかといえば疑問だが、私は大好きだ。

CAR10

CAR10