まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

冬の歩きタバコマンは放火魔だとおもっている

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 帰路。ひんやりとした夜気のなかに紫煙のにおいがまじっていた。奇矯なのは付近に喫煙スペースはつゆ見当たらず、付近の車両から漏れ出ているということもなかったからである。

 

 叢雲に月が隠れていた。星もでていない。しかし、地上でひとつの赤色矮星が瞬いた。吐き出す白い濛気は体温を含んだあたたかいものでなく、するどく冷たい白煙だった。つまりなにが云いたいのか、というと、歩きタバコマンを発見したのである。

 

 さいきん近所で放火魔が捕縛された。憂さ晴らしだ、と述懐したそうだ。わお。常識ではかんがえられないほどのサイコパス。こわっ。とおもう。

 

 しかし、歩きタバコマンも同様ではないだろうか。自らの「憂さ晴らし」のため、往来で火炎をもって逍遥する。吸っている本人は好いだろう。そしてそんな地味な副流煙で人間は死なない。けれども煙ではなく、その煙にたいするストレスで死ぬ。さらに乾季であるいま、その火の始末が不安でストレスで死ぬ。

 

 冬型の気圧配置による乾ききった空気のなか、表面温度摂氏三百度の火炎をふりまわすなんて超危険でしょう。すべてが滅んでしまいそうな冬の世界では、草花はすでに枯れ果て、いつでも着火準備オッケー! みんなもついでに滅んじゃおうよ! みたいな感じになっている。そこにタバコの火種が落下したらどうなりますか。イマジンオーザッピーポー。まさに燎原の火。とどまることをしらない火炎は七日間におよんで世界を焼き尽くしてしまう。ああ、かつて人は「火」に聖性をもとめた。しかし、人類の築き上げた叡智をすべて破滅へと導くその光はまさに悪魔の火である。逃げ惑う人びと。そのからだを炎がなめるように翻る。煤にまみれ息も絶え絶えにあるくことさえままならない。尽力し、ついに安息できるばしょをみつけても、気がつけば辺りを囲まれる。まるで餓狼である。その日、世界を焼き尽くした火は余燼だけを残して消えた。みたいなことになる。あのときあの歩きタバコマンを撲殺していればこんなことにはならなかったのに。

 

 そういえば、朝も歩きタバコマンがいらっしゃる。三歳児を搭乗させたじてんしゃで保育園にむかうその途次である。ごま塩頭の初老の男性で身なりは背広の洋装でつつみ、瀟洒な襟巻きをしている。三歳児の穢れをしらない純白な肺腑がおせんされないかしんぱいである。

 

 喫煙者を罵るつもりはない。りっぱな嗜好品であるし、時代はちょっときびしすぎない? とおもうような禁煙分煙化が促進されている。そのなかでマナーを遵守し、「吸うべきところいがいでは吸わん」と仁がいることも承知である。そういうふうな人がぜんたいを占めることも心得ている。

 

 しかし、九仞の功を一簣に虧く、とか、百日の説法屁一つ、みたいな賢人ののこしたことばがあるように、たったひとりやふたりの行為が原因となって喫煙者が守護してきたマナー、それに付随する信頼は一瀉千里に瓦解してしまう。

 

 自分だけならいいだろう、みたいな権高なふるまい、惰弱な精神をもつ喫煙者が喫煙者の首をしめている。自分勝手なご意見ご感想だな、とおもう。それにまわりへの配慮がたりない気狂いだとおもう。わお。常識ではかんがえられないほどのサイコパス。こわっ。

 

 まぁ喫煙者のことはどうでも好い。もんだいは歩きタバコの火種により世界が滅びてしまうということだ。あ、やばい、やばい! と思った私はビートルズという楽隊の「I Want Hold Your Hand」の一節を変更させ「I Want 放尿犯」と叫びながら陰茎をにぎり、照準をさだめ、下腹部に力を込めた。すると闇夜にきらめく一筋の放物線がタバコの光を消滅させた。そうして正義の放尿犯は捕縛され、いまは臭い飯を食っている。こんな世界でよいのだろうか。