この世に善悪などない。はは。ちゃんちゃらおかしなことをおっしゃる。あまいんだよ。そういう考えは。カクザザトンか。なんつって、世の中にはかくじつに善悪、いわゆる「正しさ」というものがある。コンプライアンスだよコンプライアンス。
だけどおれはロッキンルーラーなので、かくなる「正しさ」に抗いたくもなる。ルールに縛られたくないのさ。そう言い、ユーチューブで公式でない動画を観る。なんちゅう無頼漢。しかし、そうは言ってもいられぬのが育児というものである。
親がルールに追従せずにありのままで生きれば、それをみて育つ子は、親どうようの没分暁漢になってしまう。いみじき禍事である。
だからわれわれ親になったものは、ありったけの常識をもってして子を育てようとおもう。常識なんてものは幻想かもしれない。だけどそれは確実に空気に感染し、場を支配するものなので、片々たる「正しさ」をせっせとかきあつめ、おれは子にそれを教える。
過日。息子がだしぬけに公園のどまん中で仰向けになった。あかんぜよ。公共の場で仰向けに寝るだなんてもってのほかである。それはいけないことなんだよ? 的なニュアンスを含有させたトーンで「なにしてんの」とおれは言った。
「おそらみてるの」
俯仰天地に愧じず。三歳児はそう言った。
空をみる。天球にはきれぎれの雲。澄んだ青。桃色の春風。ははは。忘れていた。生き馬の目を抜くような時代の旋回のなか、おれたちの頭上には、いつだってうつくしい空があったのだ。世界はこんなにもすばらしかったのか。
おれはそんな息子を誇りにかんじた。しかし、このまま公園のどまん中で臥していれば、他の利用者が悠々と遊戯に徹することができない。ってゆうかこのままじゃ踏まれる。踏まれたら疼痛をかんじる。それはヤバイ。
世の中の正しさ的に言えば、公然と仰向けに寝ることは悪であるだろう。しかし、なんだろう、この気持ち。…恋? なんというか、にんげんがにんげんらしく生きていく、「なにか」をかんじた。
ここじゃいけないから他の場所でしようね。とおれは言った。細かい粒子の砂で洋服が黄色くよごれたけれど、ウタマロ石けんがあるからだいじょうぶ。そんなことより、いま、空の青さをみつめることが大事だとおもった。だからおれも一緒に寝た。
世の中の正しさでははかり切れない、子どもの感性というのはあるのだなぁ。情操教育? そういうんじゃなくてさ。なんというかもっとこうプリミティブなやつ。間然とするところがないものではないけれど。選ぶべきは中庸で、それはもっと大人にも適用されるべきなんじゃないかな、なんておもったりした。そんな気持ちを忘れないでほしい。
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