まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

「おい坊主」と呼びかける老翁になりたい

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 いいたいこと。というのは文句であったり、不平不満であったりするとこがおおい、というのは重々承知なのであるが、やっぱもっとこう、ハッピーなことを言いたいな、なんておもったり、おもわなかったり、でも芯にある性格の悪さが、口の悪さにリンクしてしまっているので、やっぱ悪口を言ってしまうのは、もう、おれの駄目なことだなぁ、と反省のあまり、毎日こうして現代社会という檻のなかで、つらい労働に耐えているのである。無念。

 

 ツイッターとかをみていると、やれ「ベビーカーに舌打ちされた」だの、やれ「子どもがうるさいと言われた」だの、やれ「子どもは迷惑だと注意をうけた」だの、老人による、子育て世代への罵詈ってる雑言が、目に到着する。この世は地獄ですな。

 

 そうはいうものの、実のところ、私も子育て世代であるが、そのような老人たちの攻撃にみまったことが、まったくなく、居を構えている土地柄が良いのか? なんておもったりもしたが、さいきん近所で火付けがおおいらしく、そんなこともないのであって、じゃあどうしてなのか? うちの子の顔面偏差値が高いゆえなのか、とおもう次第でもあるのだが、はは、ながい一文であるなぁ、とここでお思いでしょうか? まぁ、だから、原因はなんであれ、良い住民に囲まれてよかったなぁ、とおもうしだいである。

 

 拙宅の近隣にちいさな田畑がある。ちいさな、といってもそこそこでかい。二百坪くらいある。土地があまっている地域である。イコール安い。そこを、ふと通りかかったりすると、おじさんが「おい坊主、これ持ってけ」なんて言いつつ、生け捕りにされたレタスや胡瓜などを譲渡してくださるのである。

 

 また、保育園にいく途次。県道沿いにある御宅のまえを通ると、なにげなく挨拶をするようになった老夫婦がいらっしゃる。そのたび「可憐な子である」やら、「利発そうな顔立ちだ」と、息子のことを称揚してくださる。まったくそのとおりなのだが。

 

 ついこないだなんて、妻が保育園のお迎えの帰り、その老夫婦の邸宅にお邪魔させていただき、フライ物などご相伴にあずかった、などという。息子はお菓子類をたくさん頂戴して、さぞかし満足であっただろう。

 

 それは土地柄の話しであるが、息子はちいさかったとき、よく電車に乗っていた。そのときも、老媼からは「ぢっとしていてえらいね」やら、「女の子のような顔だね」やら、「きっと未来はジャニーズだね」などと、ここでも人情に溢れた言葉をいただくことがおおかったのである。ジャニーズはちょっと今ごたごたしてるから辞めときます。

 

 なんちゅうか、まるで、ツイッターのなかの世界とは別次元に生きているような気がしてならない。老人が文句を言う。出会わない。もしかしたら、おれたちが時代の翳を踏まないように生きているだけなのかもしれない。日向だけを見て、「世界はやさしい」と思っているのかもしれない。けれど、なんだか、それでいいような気がする。いつかおれが病気をせずに、うまく歳をとれたら、こうして「おう坊主、これもってけ」といってポップキャンディーを渡す老翁になりたいものである。