まず、この文章は半ケツで書いていると思って欲しいです。
いま、自分で読み返してみたんですが、ちょっと熱く書いてしまった。
だから私は照れているの。その照れ隠しです。だから半ケツで書いてます。
照れを隠してケツ隠さず。これはラブレターです。
志村正彦。
フジファブリックの中核。
私は彼の作る音楽が好きでした。
彼は数年前のクリスマスイブに死んでしまいました。
それゆえなのか、そうでないのか、年の瀬の時期になると彼の声が聴きたくなります。
彼らの良い曲として「若者のすべて」という曲が取り沙汰されていることが多いですが、私の思い出の曲、そんなもん知りたくねーよとお思いでしょうが、まぁ待って。聞いて欲しい。私の話を。でもホントに聴いてほしいのは「茜色の夕日」なんです。
東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ
上京したてのアンセムです。
もしこれを聴いてなにも感じない東京一年生がいたら、早々にブラウザを閉じて渋谷のクラブに行き、とりあえずノれる曲でダンスでも踊って、帰ってソナーポケットでも聴いて寝てください。
残念ながら私と人間ジャンルが違います。私とは交わらないパラレルワールドの人種です。
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茜色の夕日はメジャーセカンドアルバム「FABFOX」に入っています。
しかし実はインディーズアルバム「アラカルト」にも収録されています。
名曲の片鱗はあります。だがしかしなぜに、下手くそです。へったクソ。
これはフジファブリックファンでも言い逃れようはないです。
フジに関して話をするときに「でも志村、歌へたじゃん」とか言われたらなんにも言い返せないのです。ぐぬぬぬ。押し黙ります。
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でもそんなことは問題じゃないんです。
志村が歌うことが大事なんです。歌は気持ちです。意志です。想いです。
彼の死後、「MUSIC」というアルバムが発売されました。
ボーカルの収録はデモレベルのものでした。粗雑です。劣悪です。ちんけです。
それでもよかったんです。だって志村がそこにいたから。
個人的に「Bye Bye」がやあび←打ち損じるくらいやあび。
志村正彦が生きていたらどんな音楽を作っていただろう、としばしば思うことがあります。
とくに年の瀬のクリスマスを迎えるこの時期。
何年たっても思い出してシムシム。
まじでオマエのせいでクリスマスがちょっぴり悲しいぜ。
志村、主の導きで生き返んないかなー。キリストの力じゃ無理だよなー。
だから私は今日からドラゴンボールを探したい。
探して、見つけて、願いたい。
深田恭子と結婚したい。
大金持ちになりたい。
志村正彦を生き返らせてくれ、と。
ところで、ドラゴンボールとは…という説明が果たして必要なのか?と私は、いま、この文章を作成中に己に問いただしているところです。
だって、たぶん東ティモール人でも知っていると思う。というか、どちらかといえば私は東ティモールについて説明が欲しい。
まぁ簡単に言えば、玉。願いが叶う玉。ネガイダマ。そんな説明で十分でしょう。
フジファブリックが大好きです。
現行のフジファブリックも好きだけど、やっぱり志村がフジファブリックです。私的に。
だから山内ボーカルのフジファブリックを聴いても別バンドのように感じてしまう。フジファブリック2とか、フジファブリックカスタムとかフジファブリック零式とかにしてほしい。
音の配合、言葉の選び方、歌唱の呼吸。
どれをとっても志村にしかできないことばかりだった。
だからこそ期待できた。しかしもう志村はいない。
彼の作る音楽を聴くことはできないのです。
こんなに悲しいことはない。もっとも残念な形で裏切られた気分だ。
でも現行のフジファブリックはがんばっている。
フジファブリックを続けてくれていることで志村はある意味生きているといってもいいかもしれない。だって志村はフジファブリックだもん。
志村の死後、そんな残された面子のフジファブリックが出した曲で「ECHO」という曲がある。
音楽的に素晴らしい、とはいえない。
失礼な言い方だが、アレはありきたりなB級曲だ。
しかし音楽のあるべき姿、意味、意義、価値を考えたとき、これほど素晴らしい曲はないと思う。バカっぽい表現だけどマジ泣ける。
ロックなんて盛り上がるために出来た音楽だし、そもそもが下賎な大衆音楽だ。
しかしそこに「誰かのために」という意味がのっかってくると音楽ってのはロックでもつよくなる。
音楽って捧げるもの、伝えるものだと思っている。自己表現うんぬんかんぬんは一人でおうちでやろうな。
意味、意義、価値のある曲ってのは少なくなっている。
ただノれればいいという陳腐なポップミュージックが多い中、この「ECHO」は人間の生死の境界線を飛び越えてどこまでも響くとてもつよい曲だと思う。
ドラゴンボールが欲しいです。
深キョンのパンティがほしいわけじゃないです。
いや、ほしいけど。
とりあえず、半ケツを隠すために。