まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

フルグラ生活

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 どうもおれは無感性なにんげんであるようだ。おまえの感性もう死んでいる。っていうかしかし、みなが口をそろえて「地獄だ」ということでも耐久できるのは、この無感覚が淵源ではないのかと憶測している。つまり、おれは毎日同じものを食っても平気の平助なのである。

 

 昼餉にコンビニ弁当を見繕った。からあげ弁当である。つい先日もからあげ弁当を食った。そのさい朋輩より、「おまえいっつもからあげ弁当食ってんな。飽きないの?」とやや冷笑気味に指摘されたのである。

 

「いや、おれ毎日同じもの食っても飽きないんだよ」と俯仰天地に愧じず返答したところ、朋輩は「そんな馬鹿なことがあるわけない」的、侮蔑の念を綯い交ぜにした嘲弄の表情を浮かべていたのである。

 

 憐れな男である。はっきり言っておれのほうがかしこい。毎日ちょろちょろ陳列棚の前で右顧左眄、「なににしよっかなー」などと愚考するよりも、ちゃっ! と決め手を打ってしまったほうが時間の経済である。

 

 エレファントカシマシのボーカル宮本氏はほぼ白と黒の服しか持ち合わせていない。「毎日着るものを考えてる暇があるのなら音楽のことを考えたい」という理由である。サムライだとおもう。コンピューターの関連の泰斗スティーブ・ジョブズとかいうひともそう。偉人はいつでも洒脱なのである。

 

 そんなおれだからこそ、朝食をフルーツグラノーラというものにしてみた。いわゆるシリアルという乾燥食品であり、食物繊維が満点で、健康に都合が好いと聞く。きほんそのままでも食えるが、おもにミルクやヨーグルトなどの乳製品にひたして食うのが世俗的らしい。

 

 そんなフルグラ生活も四ヶ月目を迎えた。自家撞着も辞さず、今おれの気持ちを正直に言えば、フルグラ生活、飽きました。もういやです。つらいです。地獄です。毎日こんなものを食っていてかなしくなります。まずくはないんです。ただただつらいんです。

 

 一ヶ月目は順調だった。うまかったのである。ちいさな乾燥パパイヤや木の実がはじけ、甘さや酸っぱさを演出する。口腔エンターテインメントであった。なにより朝餉を思案投げ首するひつようがなく、朝の仕度に余裕ができた。ありがとうフルグラ。うんこもよく出る。

 

 翳りが指し始めたのは二ヶ月目からである。拙宅ではアマゾンで箱買いしてしまったために、在庫が払底するまで、この生活が余儀なくされている。妻はヨーグルトなどを使役して工夫をして食っていたが、どうもおれは駄目だ。こんなもの大の男が食うもんじゃない。

 

 もし仮に、「咎人にそこそこの罰を与えよ」と天啓が舞い降りれば、おれは迷いなくフルグラの刑を処すだろう。ひとによれば三日で限界が来る。精神が崩壊する。人権をかえせ! と叫びたくなる。

 

 無機質な食い物だとおもう。愛が無い。さびしい食い物だ。機械的だ。無性に人生を問いたくなる。おれはなんのために生きているのだろう。時間に追われ、社会に追われ、責任に追われ、さらにはもうひとつの十字架、フルグラにも追われる。こんなに匙が重くなることなんてないよ。

 

 しかしそうなると、ときおり食うあたたかいご飯が、とてつもなくありがたいものだと気付かされる。いつだってだいじなものは失ってからはじめて気付く。ばかね、にんげんって。愚かね、わたしって。ほんともう、わらっちゃうよ。

 

 白米やおみおつけからは立ち込める湯気に、あたたかい家庭の象徴を幻想する。たまご焼き、たらこ、セロリの浅漬け。色合いも素晴らしい。人生とはこうでなくっちゃいけない。さまざまな皿が独立しているが、それがひとつの朝食として機能する。これが健全な社会だ。これが最低限の文化的な生活だ。

 

 だがまだフルグラが残っているのである。拙宅のパントリーで朝日を反射させている。くそぅ。おれも男だ。これは男の意地だ。プライドだ。勇気と根性だ。一度決めたことはやりぬくんだ。それが大和魂だ。

 

 そうして師走。葉月に購入した800g×6袋一箱のフルグラを、ようやく消費しきった。おれはやった。おれたちはやった。妻と随喜の涙を流しながら、おたがいの肩をつよく抱いた。これでやっとふつうの人生に戻れる。あたらしい人生のスタートだ。おれは生き返った。これからだ。カーテンの隙間から差し込む陽光が、いつもよりやさしい朝だった。