たぶんおれのような世代、というかロックミュージックをその勢いが新鮮なときに聴いていない世代は、いわゆる「名盤」という定義でアルバムを聴いているので、その「これは歴史的なアルバムなんだよ」という、いわば脅迫めいた文言と、歴史の文脈上で「名盤」を名盤だとおもいこんで聴くという悲しい習性がみについてしまっている。
ゆえに、おれはペットサウンズを超いいアルバムだとおもっているし、なによりその「名盤案内」のような紹介文において、ビーチボーイズを知ったような世代は、サーフィンシリーズよりも、かくなるペットサウンズをビーチボーイズの音として認識しているようなところもあるとおもう。
ブライアンウィルソンはポップスの天才だ。そのメロディはきっと誰の魂にも眠っている、屋根裏で埃をかぶりながら、いつか呼び起こされるのを待っている宝物のような、ってゆうか遺伝子の核に沈殿している黄金の砂を巻き上げるような、そんななつかしくも美しいメロディをつくる。それを装飾する溜息のでるような耽美なハーモニーと、楽曲を彩るアレンジメントがさいこうにポップ。おれの好みを、なぜかいつもブライアンウィルソンは知っている。
メロディとは不思議なものだ。この西洋音楽という全体主義に毒された十二平均律の組み合わせで、こんなにもひとは精神を昂揚せしめられてしまうのか、とおれはいつも名曲を聴き、腕に粟粒を点てながらそうおもう。
ブライアンのソロアルバムをさいきんよく聴く。その名を冠した「ブライアンウィルソン」というアルバムが、すごく好き。他の音楽家のアルバムを聴いているときに数曲ほど「あ、この曲めっちゃいいじゃん」とおもう曲があるのだけれど、ブライアンのアルバムは全部それ。「ノーピアプレッシャー」もすごくいい。おれはファンというバンドも好きなのでネイトルイスが歌っているのもグッとくる。
- アーティスト: ブライアン・ウィルソン,アル・ジャーディン,ブロンディ・チャップリン,ネイト・ルイス,シー&ヒム,ピーター・ホーレンス,ケイシー・マスグレイヴス,セブ,マーク・アイシャム,デヴィッド・マークス
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
- 発売日: 2015/04/08
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (4件) を見る
ブライアンの自伝映画をみた。監修がブライアン自身とメリンダなので、多少の忖度ははいっているとおもうが、すばらしい映画だった。ブライアンが精神的に壊れてしまうのはビーチボーイズが好きならば知っているとおもう。役者のそのブライアンの杳とした翳りのある瞳や、幽鬼のような胡乱で面妖なたたずまいなどがとてもしっくり来た。
ブライアンはポップな曲を創る。それは、この暗澹たる精神面が起因しているのかもしれない。ひとによるとおもうけれども、暗い気持ちのときのほうが明るい曲ができる。ブライアンはそういうひとなのだろう。
おれはロックはがんらいポップであるものだとおもう。ルーリードなんかがアートロックなんて言ってそれを確立してしまったけれど、アートであるよりもポップであるべきだ。そういう固陋な思想はロックじゃないかもしれないけれど、まぁこれは個人の嗜好性のもんだいか。
年齢を重ねていくたびに、音楽家はそのポップネスを忘れ、孤高の境地にいたろうとする。むろんそれは大衆に揉まれてきたという過去があるからなのかもしれないが、ひどく難解なものをつくろうとする。それはポップネスを忘れたのではなく、ポップネスの才能が枯渇したからなのかもしれない。
でもブライアンはポップをつくる。映画のエンディングに「ラブアンドマーシー」と「ワンカインドオブラブ」が流れた。「ラブアンドマーシー」はヴァースとコーラスのみの単純な構成なのに、なぜにこんなにポップなのか。「ワンカインドオブラブ」の美しさたるや、こういう感想は作品の品格をさげるかもしれないが、有体にいえば、マジ泣ける。
それはブライアンが才能の枯渇しない天才だからだろう。いつまでもメロディとハーモニーという光り輝く源泉が尽きない。すばらしい音楽家だ。歩くときに「べちょん」というような滑稽な音が鳴りそうな、ずんぐりした老翁になってしまったが、彼のつくる音楽に、おれはいつも感動させられてしまう。ずっと生きていてほしい。